選評
芸術・文学 1998年受賞
『「色」と「愛」の比較文化史』
(岩波書店)
1961年、東京都世田谷区生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
帝塚山学院大学文学部日本文学科専任講師を経て、現在、帝塚山学院大学文学部助教授。
著書:『遊女の文化史』(中央公論社)、『美少年尽くし』(平凡社)、『美女の図像学』(思文閣出版)など。
本書は、われわれが今日普通に使っている「恋愛」ないしは「愛」という言葉とその意味とが、近代日本の歴史のなかでどのようにして成立したのか、そしてそれがどのような文化史的意味を持っているのか、特に平安朝以来男女の仲を指示するのに日本で用いられて来た「色」の概念との相違や葛藤の諸相を、逍遥、紅葉、二葉亭、鴎外、鏡花、漱石など、主として明治期の文学作品を詳細に分析検討することによって明らかにし、あわせて日本近代の心性(メンタリティ)の一面を鮮やかに浮かび上らせることに成功した優れた労作である。
「君をラブして居る」という『当世書生気質』の登場人物のせりふにうかがわれるように、「ラブ」(愛)は、従来の「色」では捉え切れない新しい感情表現を担うものとして、明治初期に西欧から輸入された。その意味でそれは、文明開化の所産であったが、他の多くの近代化=西欧化の事例の場合と同じく、西欧の概念がそのまま定着したものではなかった。本書は、「<色>から<愛>へ」という大きな流れを基本の座標軸としながら、一方で「色」の役割と意味を明確にし、他方で「愛」のもたらした衝撃と、その「愛」が当初はキリスト教的含意が濃厚でありながら、やがて男女間の感情にもっぱら適用され、それも特に理想化された「プラトニック・ラヴ」に特化されていく過程を綿密に跡づけ、それぞれの作家が直面した課題を明らかにして、それを日本近代の心性史のなかに位置づけている。「色」にとって代わったこのような「愛」の理想が、近代の日本人にとって普遍的な(と思われた)価値となり、また同時に呪縛ともなったことを、多くの文学作品を通して解明した点に、本書の大きな功績があると言ってよいであろう。
論述にあたっては、異本との照合、当時の批評の検討、西欧の「源泉」との比較、先行研究の参照など、従来の文学研究の手続きを踏まえながら、関連資料に広く目配りをきかせている点で、充分に信頼がおける。その過程で、男女の出会いの機縁を、幼な馴染み、血縁関係師弟関係などのパターンに分ける類型論的考察を提出していること、多くの忘れられた女性作家を発掘してその歴史的位置づけを試みていること、著名な作家についても、例えば鏡花の世界は単なる江戸の「色」の世界の復活ではなく、西洋の「愛」との混血による「色」であと指摘することなど、本書の手柄と言うべきであろう。特に一葉の『たけくらべ』を論じて、そこに子どもと遊女と僧侶に「宗教的聖性」を見る中世以来の日本の「神話的感性」が生きているが故に、それが吉原という「色」の世界を背景としながら、「プラトニック・ラヴの想にも叶う新しい花柳小説」となり得たという評価は、好著『遊女の文化史』の著者にふさわしい大胆清新な視点として注目に値する。明確な問題意識と一貫した方法論に支えられた本書は、近年における比較文化史上の貴重な収穫として高く評価されよう。
高階 秀爾(国立西洋美術館館長)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)