選評
芸術・文学 1998年受賞
『抱月のベル・エポック ―― 明治文学者と新世紀ヨーロッパ』
(大修館書店)
1946年、島根県木次町生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
関東学院女子短期大学国文科助教授を経て、現在、関東学院女子短期大学国文科教授。
著書:『世紀末の自然主義』(有精堂)
岩佐壯四郎氏の『抱月のベル・エポック』が受賞作に選ばれたことを、人ごとならず喜んでいる。
改めて口にするまでもなかろうが、関心の範囲にありながら、さまざまな事情で手付かずのままだという問題を、だれしもが一つや二つは持っていよう。
近現代の演劇史を書きつつも、そして時代的には一応の俯瞰を終えた後も、ずっと気になってしかたがない人物の一人が、島村抱月だった。ほぼ同時代の小山内薫とくらべても、抱月の研究は極端にといっていいほど少なく、今後も出そうな気配がない。わたし自身が後ろ髪を引かれる思いで大きいと思える問題を積み残してきているから、時間の経過とともに、このことがいっそう気になっていた。そういう時に出会ったのが本著である。だからほとんど一気に読んだ。そして従来の欠落が、本著によってかなりの部分埋められたことを知ると同時に、詳細をきわめた調査を経て、著者が新しく提示している文化的なパースペクティブに、共感を覚えた。本著を積極的に推したのは、そのためにほかならない。
一言でいえば、本著のテーマは、ひたすら「西洋」を志向していた時代のわが国の若い学徒が、今世紀初頭のイギリスやドイツで何を見、何を身につけて帰国したのかということになる。むろん、こういうことを経験したのは、単に抱月一人ではない。漱石や鴎外をはじめとして、数多くの学徒が海を渡った。その中にあって、抱月の留学が、その体験が、ほかのだれとも異なっていたとすればそれは何に起因していて、帰国後に何をもたらしたのか。
抱月の『渡英滞英日記』と『滞独帰朝日記』を軸に、著者はそういう目で抱月の足跡を丹念にたどる。そこに見えてきたのは「ベル・エポック」独自の文化位相、音楽や絵画や思想や演劇などの全域に渡って、二つの極、「純化」と「通俗」に分化しつつある姿だった。換言すれば、新しい民衆の文化が産声をあげつつあったのである。その可能性をいち早く見抜き、「民衆文化」に積極的に接したところに、抱月の滞欧体験を特異なものにした背景があった。そしてこれが、新しい「民衆文化」が花を咲かせはじめた大正と呼ばれる時代の中で、抱月の主宰した芸術座が、多くの観客を魅了していく素因になる。
さまざまな細部に光を当てつつ、本著はそういう文化的なコンテキストを鮮やかに浮上させるのである。魅力的な、説得力のある読み直しだといっていい。改めてお祝いを申し上げる。
大笹 吉雄(演劇評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)