選評
社会・風俗 1997年受賞
『エリゼ宮の食卓 ―― その饗宴と美食外交』
(新潮社)
1947年、長崎県厳原町生まれ。
東京外国語大学中国語科卒業。
毎日新聞社社会部、テヘラン支局、パリ支局などを経て、現在、毎日新聞社ローマ支局長。
食卓外交といったことばが浮んだのは、その昔、ニクソンが日本の頭越しに対中国交回復交渉を押し進め、晴れの調印式に北京を訪れたときのことである。晩餐会では極上の中国料理が供され、周恩来首相が自ら一品一品をニクソン大統領に説明しながらもてなした。その模様は詳しく報道され、私もそれを知って昼に行なわれた外交交渉や首脳会談もさることながら、首脳外交には食卓での振舞いも重要な意味をもつものだなと感じた。供される料理と招待客の格付けとの関係は、といったことは些末なことにみえて、実は外交上の要といってよい重要事ではないか。外交とは微妙な文化的色合いが要求される、きわめて人間的な行為の筈である。
西川恵氏の『エリゼ宮の食卓』は、このような問題に正面から挑んだ力作。舞台はフランス大統領官邸エリゼ宮、そこで展開される食卓外交を、供される料理の質や酒類の選ばれ方を詳しく取材し検討して、歴代の強権をもって知られる仏大統領職にある人たちが、世界各国から招いた国賓や首脳をどのようにもてなしたかを分析、そこに秘められた政治的意図や選択を明らかにしようと試みた。「食卓にこそ政治の極致がある」とのことばが引用されているが、この本を読むと、納得させられる。人間関係が親密にも疎遠にもなるのが多く「食事」に発することを思えば、政治というきわめて人間臭い行ないに欠かせないのが、宴会であることは当然の理に他ならない。
しかし、仏大統領といえども、みんなが食通で料理に詳しいわけではない。ドゴール大統領は早食いで食事には冷淡、エリゼ宮のメニューは夫人にまかせ、大統領がすぐ食べてしまうので周囲もそのスピードに合わせて料理を食べ残す者もいたとか。ドゴール氏の後を継いだポンピドー氏は、グルメでグルマン、それまでは少人数の客にしか料理できなかった官邸の厨房を大改造して、百人、二百人という賓客を自前でもてなすことができるようにした。大統領自らメニューに凝り、招待者に応じた料理を指定するようになったのも、この人からとのことである。次のジスカールデスタン氏も大の食通。
本書の圧巻はミッテラン氏の食卓外交であろう。14年間も大統領職にあったこの人は、社会主義者として登場しながらも、そのしたたかな政治運営で冷戦下の西側陣営での主力となったばかりでなく、その文化的洗練とフランス文化への貢献はまことに賞讃に値する。メニュー選好の凝りぶりも大したもの。英女王からレーガン、ブッシュ、サッチャーへのもてなしもさることながら、昭和天皇や今上天皇への心遣いさえメニューに歴然と表われている。社会・風俗部門の受賞にふさわしい作品であるだけでなく、メディアの取材・報道に欠けがちである異文化理解の重要性を自ら証明して見せた秀作である。
青木 保(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)