選評
芸術・文学 1997年受賞
『絵画の黄昏 ―― エドゥアール・マネ没後の闘争』
(名古屋大学出版会)
1957年、東京都生まれ。
東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程単位取得退学。パリ第7大学博士課程修了。
三重大学人文学部助教授を経て、現在、国際日本文化研究センター助教授。
著作:『異文化への視線』(共著、名古屋大学出版会)など。
本書はマネを中心にして、19世紀後半のフランスの絵画史を振り返り、そこで何が起こり、何が問われたかを、従来の説にとらわれることなく、新たな地平で実証した力作である。
わたしにとって、絵画史、しかもフランスのそれという専門外の領域が対象だから、ここでこうして選評を述べるのもさることながら、そもそも分厚い本書を読み通すことが出来るかどうか、第一にはそれが気掛かりだった。が、ページを開いてすぐに、それが杞憂に終わるだろうと予測がついた。わたしも鑑賞したことのあるマネの「オランピア」のスキャンダルをめぐって、ボードレールがマネを諭し、ゾラが弁護したという魅力的な記述が冒頭にあるからである。その意味で、この二つの言葉を問題解明の導きの糸にしたという著者の戦略は、門外漢の読者の関心をも強く惹いたという点で、成功だった。
ごく薄っぺらな知識はともかく、内容的にはほとんど知らないことばかりだから、書き出しにつづいてのマネと同時代の美術史家で、その信頼すべき伝記をものしたデュレが、「草上の昼食」が出展された有名な「落選者展」はむろん、「オランピア」のスキャンダルにも立ち会っていなかったという記述にも、驚いた。こうなれば著者の術中にはまったも同然で、用語的に多少のわかりにくさがないではないが、一気に読めた。
ことにマネの訃報を丹念に掘り起こし、この時点でマネの評価が揺らいでいたにもかかわらず、それが急にプラスに転化していく跡づけは、スリリングでさえある。しかもその背後に絵画の商品価値という側面があり、加えて、ある種の政治的な動きがからんでいたという指摘は、芸術的な価値観の転倒をともない、印象派をして近代絵画の中心部に位置づける動きが、社会の流れと深くかかわっていることを納得させて、本書の大きな「物語」を重厚にしている。
印象派への「日本趣味」の影響が意外に根深いのも、改めて教えられた。また、著者の博捜が掲載された図録にもよく反映していて、理解を助けてくれる。ただ、著者の直接的な絵画論が、例外的にしか見られないのがいささか寂しい。
とはいえ、本書が三部作構想の一部だというスケールには、圧倒される。本書の成果は、つづく著作への十分な期待を抱かせてくれる。
大笹 吉雄(演劇評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)