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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1997年受賞

イ・ヨンスク(い・よんすく)

『「国語」という思想 ―― 近代日本の言語認識』

(岩波書店)

1956年、韓国・順天市生まれ。
一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。
大東文化大学国際関係学部助教授を経て、現在、一橋大学大学院言語社会研究科助教授。
著書:『言語・国家、そして権力』(共著、新世社)、『体験としての異文化』(共著、岩波書店)

『「国語」という思想 ―― 近代日本の言語認識』

 「明治は文体の不統一を極めた時代である。一枚の新聞紙を開けて見ても、論説欄には漢文直訳風な堅くるしい文体があり、三面雑報には気の利いた西洋風の言文一致や、ひねった戯作風の俗文体が雑居してをり、又二面の処ところには平明直実な普通文があるといった風。そこで今日の文章を学ぶ者はあるだけの文体に一通り通じておかねばならぬとは、骨の折れた事である」
 杉谷代水の『作文講話及文範』は明治期の代表的な文章論の一つだが、上に引いたのは「国文の諸体」を展望した章の一節。この本が出たのはちょうど明治末年のことで、「である」止めをはじめ、標準的な文体がほぼ定まりつつあった時期に当る。それでもなお、声を大にして不統一を嘆かねばならなかったほどだから、明治初期から中期にかけてのころ、文体がどんなに混乱し、どんなに貧困だったか、想像に余る。
 小説家といわず、新聞記者といわず、政論家といわず、およそ言葉をあやつることを業とする人は、内容以上に、それを伝える語法の工夫に痛ましいばかりの苦労を重ねたにちがいないが、そうした彼らの仕事はもっぱら文学の問題として扱われてきた。
 しかし、これからの時代にふさわしい文体をつくりだすという事業は文学的課題にとどまるものではなく、日本が近代国家として立つうえで欠かすことのできない言語政策でもあったはずだという観点からこの問題を洗い直したのが、イ・ヨンスクの『「国語」という思想』である。
 たとえば、文体改革のうえで最も重視されていた言文一致も、日清戦争をきっかけに高まった国家意識と結びつくことで、「国家支配のための政治的装置」としての「国語」の理念を支える言語形式となったと著者は説く。そして、明治国家の言語政策の本質をこう要約した。「『日本語』という地盤が確固として存在した上に『国語』という建築物が建てられたのではない。むしろ、『国語』というはでやかな尖塔が立てられた後に、土台となる『日本語』の同一性を大急ぎでこしらえたというほうが真相にちかいだろう」
 幕藩体制によって言語が地域的、階層的に分断され、日本語という「言語的統一体」の存在が疑われるような状況のなかでは、こうでもするより方法がなかったともいえるが、そのためにさまざまな無理と強引が生じたのはいうまでもない。「国語」の理念が独り歩きし、朝鮮や台湾での言語的植民地化をもたらしたことなどがその最たるものであろう。
 国語という言葉は、その言い方自体がすでに政治的で、うっとうしい感じがついてまわるが、その発生と肥大化の経緯をここまで明確に論じおおせた著者の力量は尋常のものではない。なかでも、「国語」のイデオローグだった上田万年と、その衣鉢を継いだ保科孝一の足どりの調査の周到と考察の的確には脱帽のほかない。

向井 敏(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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