選評
思想・歴史 1996年受賞
『東トルキスタン共和国研究 ―― 中国のイスラムと民族問題』
(東京大学出版会)
1956年、中国・河南省生まれ。
中国中央民族学院(現中央民族大学)民族語言文学系卒業。同大学院文化人類学専攻修士課程修了後、同大学教員、中国政府文化部社会文化局勤務を経て、1989年日本留学。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。東京大学教養学部非常勤講師、外国人客員研究員を経て、現在、神戸大学国際文化学部助教授。
この本をゆっくり読んだのは、昨年末にインドとパキスタンに出張した折のことであった。体調がわるく、薬を飲んでデリーのホテルのベッドで横になりながら、出たばかりの本書を読んだことを思い出す。しかし、一読疲れを忘れるほど、叙述と論理の説得力にひきこまれた。南アジアはチベットやアフガニスタンを挟んで、中央アジアの争奪をめぐるグレートゲームに深く関係してきたこともあって、インドでこの書物を読むのも不思議な因縁であった。とくに中ソ関係と並んで中印関係など内陸アジアの国際関係を理解する上でも、基本文献になるというのが第一印象であった。
この本は、直接には、1930年代から40年代にかけて発展した新彊ウイグルの東トルキスタン民族独立運動を扱っている。しかし、現代中国の民族問題やイスラム文化のあり方にも視野が及ぶスケールの大きな著作である。中国語・日本語・ウイグル語・カザフ語などで書かれた未公刊の手紙や文書を駆使し、われわれと変わらぬ達意の日本語で研究成果を公にした。未開拓の中央アジア地域文化研究を主に中国との関係で切り開いた意味は大きい。
また、戦前の日本陸軍特務機関の新彊における活動を明らかにした点も高く評価される。いわゆる満蒙における日本の「特殊権益」については従来もよく知られてきたが、帝国陸軍は新彊についてもロシア勢力の伸張が日本の満蒙利益を脅かすという認識から「生命線」のように考えていたらしい。ロシア、中国、日本の角逐のなかに、地元の民族運動の展開が立体的に浮かび上がる。昭和史や日中関係史の研究にも大きく寄与するだろう。盛世才や呉忠信やイリハン・トレといった政治冒険家たちの活動の描写も文学のように楽しめる。東トルキスタン民族独立運動における「二番住宅」、アルタイ・カザフ民族解放運動における「白い部屋」と「青い部屋」といった謎めいたソ連機関の存在を絵解きする技量も鮮やかである。
ソ連と中国のパワーポリティクスの谷間で呻吟したウイグル人などムスリム諸民族の苦悩は、今にいたるまで深い。それを漢民族出身の著者が描き出すのも、容易なことではなかったに違いない。21世紀の初頭は、中国の動向が日本や世界に衝撃を与えるだろう。日本の論壇と学界は、内陸部から起こる複雑な民族問題とイスラム社会運動の性格について分析できる本格的な学者が生まれたことを喜ぶべきだろう。
山内 昌之(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)