選評
政治・経済 1996年受賞
『新しい「中世」 ―― 21世紀の世界システム』
(日本経済新聞社)
1954年、埼玉県志木市生まれ。
マサチューセッツ工科大学政治学部大学院Ph.D.コース修了。
東京大学教養学部助教授等を経て、現在、東京大学東洋文化研究所助教授。
著書:『世界システム』(東京大学出版会)、『日中関係1945-1990』(東京大学出版会)
「各部門2点」という授賞側の方針に従ってよい作品が毎年均等に生産されるわけではない。さんざん議論した挙句、該当なしに帰結する年もあれば、今年のように資格十分の秀作が集中的に現れる年も ある。豊作の年にあって、とりわけ高い評価を集めたのが本書である。
今日ほど世界の動きが興味深い時代は稀であろう。地滑り雪崩的大変動が進行しているにも拘わらず、歴史の通例であったような軍事力による一刀両断的決着はない。従って変動の複合的諸要因の一つ一つ が絶ち切られることなく推移する。観察者にとっては、またとない壮大な社会実験が眼前に進行していることを意味する。ただ巨大すぎる実験を分析する力量の方が追いつかないことが問題であった。本書 はこうした事態への一つの応答である。
いま進行している変動を、本書は主要な三つの構成要因、すなわち冷戦の終焉、アメリカの覇権の衰退、相互依存の進展に即して分析する。それは、さまざまな内外の国際関係についての諸研究をふまえ、 それにまたがって自らの観察を語ったものであり、総合的にして要を得た今日に至るまでの戦後国際システム変容論である。
その変容の先に現れるべき世界像は何か。そこまで踏み込んだのが本書の特長であり、「新しい中世」なる国際関係論の学術的研究にあるまじき表題が、著者の着想を集約している。ヨーロッパ中世の特徴は、共通の普遍的価値観(キリスト教)によって囲われつつ、国家以外の政治主体も多様に並存したことにあった。二つの世界大戦と冷戦を終えた二十世紀末の世界史は、自由民主主義と市場経済をゆるやかに普遍的価値として共有し、かつ相互依存の制度化の先に主権国家の相対化と主体の多様性を見出しつつある。
この「新中世」状況は相互依存が深化しボーダレス化する欧米日の先進社会に顕著であるが、世界全体のゆるやかな進展方向でもあると見うる。その意味で、「新中世圏」はある規範性を帯びているものの、それに属する国は20余にすぎず、今なお近代国家づくりをめざす「近代圏」の国々が百をこえる多数を占める。さらに国と社会が崩壊の危機に瀕している「混沌圏」も存在する。この三つの圏域の存在を明快に示しつつ、三者の相互関係をめぐる問題性をも本書は語る。
以上のように、学術的基盤にもとづきつつも世界の全体像の骨格とその動向を大胆に提示したことを多としたい。選考委員会には、国際政治はそもそも混濁して分かりにくいのが現実であるのに、本書の議論は明快に過ぎるのではないかとの疑念も呈された。しかし複雑多様と移り変りの激しさという現実をこなして理解可能な世界像を明示した知的貢献が高く評価されるとの判断で全員が一致した。
五百旗頭 真(神戸大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)