選評
政治・経済 1996年受賞
『アジア間貿易の形成と構造』
(ミネルヴァ書房)
1948年、京都市生まれ。
東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。
大阪市立大学経済学部助教授、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院日本研究センター所長等を経て、現在、大阪大学経済学部教授。
著書:『大正・大阪・スラム』(共編、新評論)など。
イギリスに端を発する19世紀の工業化の進展は、アジア諸地域をどのような形で巻き込んでいったのか。本書はその答えとして、ウエスタン・インパクトは、アジアに独自の国際分業体制をつくり出し、欧米との貿易の成長率よりもはるかに高いスピードのアジア地域内部の貿易の拡大をももたらしたこと、そして工業製品と原料・食料などの第一次産品との間の「工業化型」貿易を中心に発展したという命題をとり出した。
この論点は、従来の「アジア停滞論」に根本的修正を迫るだけでなく、非ヨーロッパ社会における「自生的な工業化モデル」を提示したという点でも、文字通り画期的なものといえよう。もちろん著者はこの「自生的」という概念に慎重な留保をつけてはいるが。
著者のアジア地域の工業化モデルに登場するのは、アジア人商人であり、その背後にはアジアに共通する生産と消費の構造、いわゆるアジア的規模での物産複合があったことが、具体的かつ数量的に示されている。この具体的数量的記述が本書の大きな魅力のひとつとなっている。この種の雄壮な話は、往々にして想像力だけの大風呂敷に終わることが多いからだ。著者は、実にみごとなバランス感覚でもって、ていねいに証拠を集め、証拠で固められないところは確かな推理力で補う、という作業を見事に果たした。
本書のテーゼは、日本経済史の理解にとっても大きなインパクトを持つ。20世紀の日本の工業化が、単に日本の植民地支配という側面だけから理解されるのではなく、アジア地域内部の分業体制とどうか かわってきたのかという問が強く意識されているからである。もっとも「アジア地域内の分業体制」というとき、東アジア圏と南アジア圏とを合わせて把えることができるのか、第3篇で論じられている移民と労働力供給の問題は、労働条件(端的には賃金)という変数を正面にすえないでどこまでそのメカニズムを把握できるのか、商品貿易の構造と資本・労働の国際移動との関係をどう関係づけるのか、といった問題に対する著者の考えを聞きたい気持ちはある。 しかしこうした問は、本書の構成の中では恐らく二次的な意味しか持ちえないだろう。
それよりも、次の2点で杉原氏の力量に敬意を表したい。20年以上にわたって持続しえた鋭い問題意識、必要なデータの着実な加工作業。まさに本書はこうした「持続と蓄積の精神」が生み出した希有の力作なのである。
猪木 武徳(大阪大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)