選評
社会・風俗 1996年受賞
『単一民族神話の起源 ―― <日本人>の自画像の系譜』
(新曜社)
1962年、東京都昭島市生まれ。
東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、東京大学教養学部大学院総合文化研究科修士課程修了後、同博士課程進学。
著書:『ナショナリティの脱構築』(共著、柏書房)、『知のモラル』(共著、東京大学出版会)
冷戦後の世界では旧ソビエト・東欧圏をはじめ「民族問題」が噴出し、二十世紀も終ろうとしているのに何事か、といまさらながら無残な気持にさせられる。本当にアドルノではないが「アウシュヴィッツ」のあとで、「民族浄化」などというスローガンが公けに発せられるなどとは思わなかった。
もちろん、実際にはそうした言説は戦後も世界各地で絶えることはない。ひと頃、日本の有力な政治家の口からぽろぽろと飛び出した「単一民族」論も、こうした言説が生きている証左にちがいあるまい。
小熊英二氏の『単一民族神話の起源』は、こうした状況にあって、「単一民族」論を正面から取り上げ考察した力作である。この本で小熊氏が追究するのは、「戦前の大日本帝国時代から戦後にかけて『日本人』の支配的な自画像といわれる単一民族物語が、いつ、どのように発生したかを歴史学的に調べ、その機能を社会学的に分析すること」である。
戦時中の1942年には「大日本帝国は単一民族の国家でもなく、民族主義の国でもない。否、日本はその建国以来単純な民族主義の国ではない」あるいは「日本民族はもと単一民族として成立したものではない」といった主張が、総合雑誌や文部省の刊行物で行なわれていた。それが国際化が叫ばれだした1970年代後半には、「明治いらいの日本人は、自分たちが純粋な血統をもつ単一民族であるという、単一民族神話に支配されてきた」という指摘がなされるようになる。現代日本の政治家の「発言」も、こうした時期に入ってなされるようになった。ここには近代日本人の「自己特定化」をめぐるきわめてスリルに富み、また深刻な「自己矛盾」がみられる。この「自己矛盾」は戦争に向うプロセスで「東亜」の諸民族支配の理論構築となり、敗戦によっても、「民族論」は生き残る。近代日本の科学と政治、歴史と民族意識が帝国と植民地の建設、占領政策、異民族の同化と排除といった問題と複雑に交差する。「日本民族論」を近代科学の「外部」の眼で初めて論じたモースにはじまり、70年代から80年代にかけての「日本文化論」にゆきつく批判的展望が、詳細な学問・思想の論点と言説の分析を通して行なわれている。これは次の世紀が間近かに迫ったいま、出るべくして出た待望の研究であり、書物である。私自身の問題意識も著者と重なるところ多く、啓発されるところ大であったが、とくに第13章で言及されている戦時中に厚生省人口問題研究所が行なった共同研究『大和民族を中核とする世界政策の検討』を中心とした「大和民族論」をめぐる動きについては、私もいま研究をまとめているところである。若い著者の今後の研究の発展を心から期待したいと思う。
青木 保(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)