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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1995年受賞

武田 雅哉(たけだ まさや)

『蒼頡たちの宴 ―― 漢字の神話とユートピア』

(筑摩書房)

1958年、北海道函館市生まれ。
北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。
北海学園大学非常勤講師、北海道大学文学部助手等を経て、現在、北海道大学文学部助教授。
著書:『猪八戒の大冒険』(三省堂)、『桃源郷の機械学』(作品社)、『翔べ!大清帝国』(リブロポート)など。

『蒼頡たちの宴 ―― 漢字の神話とユートピア』

 鳥の足迹をモデルに漢字を発明したといわれる蒼頡、そして現在までくり返されてきたおびただしい文字改革の運動。この書物は一見、漢字の発生譚と改革史のかたちをとっている。が、それ以上に、古代中国から連綿と続いてきたそういう文字デザインへのはてしない夢に込められた、深く屈折した情念を炙りだすことで、人間精神と言語とが織りなす存在論的とでもいうべき歴史ドラマにまで筆をとどかせている。
 漢字という、コミュニケーションの媒体の発明に中国人が注いできたエネルギーはすさまじいものだが、その情念にははじめから漢字への深い嫌悪と懐疑も含まれていた。考案されては捨てられたおびただしい漢字のデザイン例、あるいは、中国のバベル的状況を克服するための「普遍中国語」の模索と、16世紀以降のヨーロッパにおける普遍言語への夢との熱病的なばかりの相思相愛、そういう現象を克明にたどったはてに、著者は、漢字が中国人にとっての「マゾヒズム装置」であったと解釈するしかないとして、次のように書く。
《漢字に苦しめられていると訴えつつ、それを楽しんでいる。漢字を捨てるべきだと騒いでいながら、捨てようとする過程の苦痛を快楽に変換し、絶対に捨てようとはしない。漢字を常に苦痛と快楽の源泉としながら、そのはざまの閉じた宇宙に居坐って、かれら蒼頡たちは「漢字」があればこそ快楽が約束される「非漢字」という文字遊戯にふけっているのではあるまいか》、と。
 この快楽装置は、清末には、新しい表音文字体系をデザインすることによって言語を統一しようという「新文字運動」を生みだし、現在までそういう新文字を考案した「蒼頡たち」は百人を下らないという。他方、イエズス会がもたらしたユートピア的ともいえる中国語幻想は、ゴドウィンやシラノ以来の月世界旅行小説から『ドリトル先生月へゆく』にでてくる月世界語にまで反響していった。
 一読して、だれもがまず、その途方もない情報量に舌を巻かずにはいられないだろう。修業時代から中国にわたってこまめに図版や資料を収集してきた著者ならではの仕事である。記述もとてもこまやかで緻密だ。が、レトリックを駆使した雄弁さという印象はまったく与えない。著者のもって生まれた無尽の想像力、著者の中国文学への深い愛ももちろんあろうが、中国文学史研究のなかで培った機知のこころ、奇想天外な物語群のなかを遊泳しながらおぼえた頓智のこころが、行間に充満していることが大きい。そういう軽み、滑稽味のある語り部としての資質は、続いて刊行された『桃源郷の機械学』(作品社)や『猪八戒の大冒険――もの言うブタの怪物誌』(三省堂)という、気をそそるタイトルの著作で、こころゆくまで味わうことができる。言語と歴史と物語、あるいは科学と頓智を、自由に行き来する精神のしなやかさは、みごとなものだ。

鷲田 清一(大阪大学助教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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