選評
芸術・文学 1995年受賞
『彼等の昭和 ―― 長谷川海太郎・りん二郎・濬(しゅん)・四郎』
(白水社)
1956年、宮城県生まれ。
東京女子大学大学院文学研究科修士課程修了。
立教大学大学院にて研究を行なう一方、予備校にて国語科講師も勤める。現在は、1920年代以降の文芸を中心に、演劇、ミステリ、少女文化等も含めた幅広い評論活動を展開。
著書:『少女日和』(青弓社)、『蘭の季節』(深夜叢書社)など。
昭和文学を論じた文章は数知れず、主題も論法も試みつくされて、手つかずの新見に出会うなどというのはもう無理だろうと思っていたのだが、どうやら早とちりだったらしい。ついさきごろも、川崎賢子と名のる気鋭の研究者が『彼等の昭和』をたずさえて現れ、意外な角度から昭和文学を展望して、新鮮な見解を披露してみせてくれた。
この人が眼をつけたのは、明治末期から昭和戦前期にかけて函館を本拠に論陣を張ったジャーナリスト、長谷川淑夫の四人の息子たちの型破りの履歴とその仕事である。
まず、長男の長谷川海太郎。大正の末ごろ、アメリカに渡って各地を放浪し、帰国後、谷譲次の筆名でモダニズム系統の奇警な文体による移民物語「めりけんじゃっぷ」の連作、牧逸馬の筆名でメロドラマ小説、林不忘の筆名で丹下左膳ものの時代小説と、三つの筆名を使い分けておびただしい数の作品を発表、昭和初年代有数の人気作家になった人だ。
ついで、次男の長谷川りん二郎。パリに遊学して絵画修業にはげみ、マイナーながら画家として一家をなした人だが、その一方、地味井平造の筆名で、昭和モダニズムを代表する雑誌「新青年」に実験的な話法による一群の探偵小説を発表してもいる。
そして、三男の長谷川濬。こちらは満州に渡って満映などに勤めるかたわら、作家修業に打ちこみ、いくつもの文学同人誌に習作を寄稿、質はともかくとして、その量はあきれるばかりの厖大なものだったという。
殿(しんがり)は四男の長谷川四郎。濱と同じく満州に渡り、満鉄調査部などに勤めたが、現地で召集され、敗戦後、シベリアに抑留された。帰国してのち、五年にわたった抑留体験を材とする短篇連作『シベリア物語』などを世に問い、戦後文学の一翼をになうことになる。平明で簡潔な描写のなかに茫洋たるユーモアを忍ばせたその清新な文体には、私などもずいぶん入れあげた覚えがある。
ともに文学に心をゆだねながら、それぞれ異なった人生を歩んだ四人の兄弟。その一人ひとりについては、ことに長兄の海太郎と末弟の四郎については、これまでもしばしば論じられてはきたけれども、四人を「越境する文学者」という視点からまとめて考察したのは、『彼等の昭和』がおそらくはじめて。それだけでも興を誘われるが、この論考の最大の手柄は、四人の作品の検討を通じて、従来見すごされてきた昭和文学の擁する多様性に注目をうながしたことであろう。なかでも、谷譲次の「めりけんじゃっぷ」の技法を分析しつつ、昭和初年代のモダニズム表現の魅力と危うさを説いた条々など、精読に値する。
調査は行き届いているし、容易には得られぬ力作なのだが、ただし、「流転の形象に官能していた」といったふうな、ひとり合点の大時代な言いまわしがあちこちに出てくるのが眼ざわり。せっかくの才能をこんなことでそこなってはならない。自重を望む。
向井 敏(評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)