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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1995年受賞

今橋 理子(いまはし りこ)

『江戸の花鳥画 ―― 博物学をめぐる文化とその表象』

(スカイドア)

1964年、東京都港区生まれ。
学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程修了。
日本学術振興会特別研究員を経て、現在、東海大学文学部専任講師。
著書:『秘蔵・日本美術大観第4巻 大英図書館/アシュモリアン美術館/ヴィクトリア・アルバート美術館』(共著、講談社)、『江戸名作画帖全集第8巻 博物画譜』(共著、駸ゝ堂出版)など。

『江戸の花鳥画 ―― 博物学をめぐる文化とその表象』

 うらやましいほど豊かな、華やかな才能の持主が、ここにまた登場した。巻末の略歴によれば、この著者はまだ三十歳にもならぬうちにこの書物のほとんどを書きあげ、これによって博士の学位を取得した。それが一年後には、早くも480余頁のこの美しい大冊となって刊行されたのである。
 とりあげたテーマがよかった。本書を『江戸の花鳥画』と題した理由を、著者は序章で「あらゆる動植物へ向けられた江戸の画家たちの視線を、当時の博物学隆盛の文化背景の中に再発見しようとする試みのため 」、と説明している。たしかに、18世紀初めから19世紀半ばまで、いわゆる鎖国下の徳川日本では、他に知的関心の向けどころがなかったとでもいうかのように、人々は、大名、旗本から専門の学者、絵師、そして庶民にいたるまで、こぞって動植物の生態の観察や、飼育、栽培に熱中した。その動きのなかで伝統的本草学はたちまち博物学へとひろがり、図譜の制作を介して限りなく藝術に接近し、画家たちの仕事もまた博物学の「視線」を獲得してあざやかな自然の再発見を進めていった。
 著者今橋理子さんは、この同時代二方向からの波が重なりあってつくった波がしらを、大胆に、軽やかに、若々しい共感をこめて、たどってゆく。これまで博物史家たちが示唆しながらも深入りせず、美術史家たちはなんとなく疎遠にしてきた「博物絵画」とも呼ぶべき豊麗な新分野である。公卿近衛家熈の精密華麗な『花木眞写』から、南蘋派の花鳥画を学んで越えた宋紫石、著者の恋びとかとも思われる秋田の青年武士小田野直武の写生画、そして狩野派絵師の描いた『鷹狩図屏風』をへて、伊藤若冲や歌麿、広重の花鳥版画にいたるまで、著者は一つ一つの作品の細部への読み、そしてその読みを通じての新しい意味の発見と確認の作業が、面白くて嬉しくてたまらないといった感じで分析し、論述してゆく。
 十分に精密な考証を重ねながらも、対象へのこの好奇心と愛着とがいきいきと伝わってくるところがよい。しかもそれは、江戸の画家たちが花や鳥に新しい眼を向けて発見を重ねていったときのよろこびに、おのずから呼応していた。美術史界の若武者のこの美しい初陣を祝って、サントリー学芸賞は贈られる。

芳賀 徹(国際日本文化研究センター教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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