選評
思想・歴史 1994年受賞
『西洋化の構造 ―― 黒船・武士・国家』
(思文閣出版)
1947年、福岡県久留米市生まれ。
東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。
京都大学人文科学研究所助手、国立民族学博物館助教授等を経て、現在、国際日本文化研究センター教授。この間、ハーバード大学イェンチン・インスティテュートにて客員研究員を務める。
著書:『「みやこ」という宇宙』(日本放送出版協会)など。
冷戦が終わって、ときならず我が国の「国際化」がまたまた唱えられている。そうすると、そのことの当否、あるいはそうした議論の軽重はひとまず別として、どうしても人々の目は、幕末から明治にかけての「あの時代」へと向かう。
むろん、その時代が近代日本史において格別の意義をもった時代であってみれば、この時代に対して向けられた好奇のまなざしは、すでに夥しい研究書や一般書を生み出しているわけであるが、その中にあっても、本書は、独自の性格を誇るに足る秀逸の一冊といってよいだろう。
言うまでもなく、本書は昨今の維新・開国ブームとは何の関係もなく、本書のタイトルにあるように、幕末から明治にかけての「西洋化の構造」を、いくつかの論文において説き明かすものであるが、何より、このテーマに対峙する著者の姿勢は、その序論において明快である。すなわち高度な西洋文明を摂取することは必要だとしても、それは果たして、西洋の文化と一定の距離を保つことにおいて可能なのか、これが近代日本の西洋化の問題であった。
これに対して著者はいう。「文明の摂取という作業は自国中心主義ではなりたたないが、逆に完全な西洋主義あるいは普遍主義でもなりたたないのである。」では日本の西洋化はどのように行われたのであろうか。一言で言えば、日本は、西洋文明のいわば足音を聞きながら、自らのやり方で、日本の社会や文化の改変をおこなっていった。従って、言い換えるなら、ここに西洋の近代が世界へと拡張してゆくプロセスと、日本の自己改革の運動が共振し、共鳴しあう「場」が成立したということである。
この共鳴しあう場(それを著者は「共有」とよんでいる)の形成を、蒸気船の発達によってもたらされた輸送・コミュニケーションの世界化に求めた議論もさることながら、本書の中心をなし、かつ刺激的なのは、幕末から維新にかけての武士身分の解体を、武士自身の、自らの本職である「武職」への回帰に求めた「郡県の武士」と題する章である。
ただ、既発表の論文を合わせているので、編集しているとはいえ、少し、まとまりが悪いという印象を否めない。しかし、それにもかかわらず、ここには日本近代の端緒に対して一定の明確なパースペクティブを与えようという強い意志が働いており、それが本書の魅力なのである。さらに、社会史(黒船の背景)、思想史(森有礼論)、歴史分析(武士身分の解体論)などを自在に縦断した著者の力量は高く評価されるべきものであろう。
本書の選評者として私は決して適任だとは思わないが、上のような私の感想は、選考委員会での議論の一般的な了解から決して掛け離れたものではないと思う。示唆されるところの多い仕事である。
佐伯 啓思(京都大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)