選評
思想・歴史 1994年受賞
『現代中東とイスラーム政治』
(昭和堂)
1953年、北海道夕張市生まれ。
エジプト国立大学アズハル大学イスラーム学部卒業。
国際大学大学院国際関係学研究科助手、同専任講師を経て、現在、国際大学大学院国際関係学研究科助教授。この間、ケンブリッジ大学中東研究センターにて客員研究員を務める。
著書:『イスラームの兆戦』(講談社)、『エジプト・文明への旅』(日本放送出版協会)、『イスラームとは何か』(講談社)など。
現代の中東を理解するためにイスラームの知識が不可欠なことは、誰でも知っている。にもかかわらず、今日もなお、われわれの中東政治を見る眼は、西欧をモデルとした近代化のパラダイムによって大きく規定されている。本書の最大のメリットは、このような歪みをただし、政教関係・国家・主権・法の支配等の諸点にわたって、中東政治をイスラームの内在的な論理から説明してくれる点にある。
イスラームにあっては、イスラーム法を紐帯とするウンマと呼ばれる共同体が存在し、国家はその下位の共同体でしかない。そして、国家は、イスラーム法によって正当性を否定されると、その存立基盤を掘り崩されることになる。イランにおけるイスラーム革命は、このような西欧の場合とは根本的に異なるイスラーム独自の政教関係が現代にも生きていることをしめした事件である。
あるいは、イスラームにおいては、主権は神にあるとされる。一見すると、こうした「主権在神」の思想は「主権在民」の近代思想に逆行するように思われやすいが、イスラームの「神の主権」は人類総体にその行使が委託されており、専制君主を否定することに結びつく。この例がしめすように、イスラームの場合には近代化と政教の一元性が必ずしも矛盾するわけではないことを、この書物は教えてくれる。
もちろん、著者は、現代の中東に西洋化・近代化のベクトルがつよく働いていることを重視する。しかし、このような西洋化・近代化にたいするイスラム側のレスポンスを説明するにあたっても、「イスラーム原理主義」(この言葉自体がキリスト教をモデルとした西洋渡りのものである)と呼ばれる最近の事象だけに注目するのではなく、その源流を18世紀にまで遡る「イスラーム復興運動」の大きな歴史の流れのなかでそれを理解しようとする。
本書は、このようにイスラームの根本的な政治概念や歴史的な宗教運動の枠組みから現代の中東政治を説明してくれるが、同時に、エジプトやサウジアラビアといった個別の国家に即して、それぞれの国における宗教と政治の相剋を明らかにすることも怠っていない。中東各国の憲法のなかでイスラーム法がいかに位置づけられているか、またイスラーム法と国家のレジティマシーという点から中東の国家がいかなる類型に分けられるかといった説明も、たいへん貴重なものであろう。
全体として、日本の一般読者にまだまだ親しみにくい中東政治を、該博な知識を駆使して、しかも、きわめて平易に説き明かしてくれているという意味で、本書の意義はまことに大きいといわねばならない。
野田 宣雄(京都大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)