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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 1994年受賞

黒田 明伸(くろだ あきのぶ)

『中華帝国の構造と世界経済』

(名古屋大学出版会)

1958年、札幌市生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。
京都大学文学部助手、大阪教育大学講師等を経て、現在、名古屋大学情報文化学部助教授。

『中華帝国の構造と世界経済』

 骨太で若々しさに満ちた力作である。ただし容易に読み進むことのできない難解さがある。その原因は、途方もなく大きな主題と解釈の仕掛けの複雑さにあるのだろう。読み終えた者を完璧に納得させるというわけではないが、魅力溢れる仮説が提示されている。
 主題は冒頭に述べられている次の疑問から生まれている。「16世紀から現在にいたる世界経済の発展史の中で、中国がその中枢を占めることがなかったのは何故か。」早くから社会の隅々に貨幣が浸透し、農民の利潤獲得志向が高かった社会。そして商業に対する規制も少なく、高度の信用制度と度量衡の発達のもとで自由な競争条件が確保されていた社会。それなのに何故、中国は市場経済のめざましい発達を遂げなかったのか。
 著者は、農作物の買い付けに使用される現地通貨(銅)と地域間の決済手段として用いられる価値保蔵機能を持った通貨(銀)との二重構造に、このナゾの解決の糸口を求めている。つまり銀銭二貨制の中国は本位貨幣を拒否した社会だったと見るのである。
 中華帝国は、これら二つの通貨の兌換制を制限した、債権の社会化の不徹底な社会。これに対して世界経済は、国民経済の債権債務関係の間の兌換制を貫徹させていたのである。この中華帝国とヨーロッパ的な世界経済は、16世紀以降相互依存と競争関係を重ねながら、ついに20世紀には前者が後者に呑み込まれるという経過をたどる。
 序章と結章は著者のこうした歴史観の独白であり、この二つの章にはさまれた諸論文は、清朝の貨幣政策や財政運営に関する質の高い実証研究となっている。著者の脳裏では、20世紀初頭に世界経済に曝されながら不均等発展と分省化の危機にあった清朝と、現在広く世界の注目を浴びている中華経済圏の発展とが重なりあっている。このイメージがどれ程の説得力をもつかは、これから慎重に検討されるべきテーマであろう。
 にもかかわらず本書に好感を持ったのは何故か。それは歴史研究が詳細な実証主義だけに終始し、歴史の流れを意識したオープンな議論が難しくなってきた現状に対して、自己の関心と仮説の枠組を大胆に明らかにしたこと。加うるに、近年ますます日本人の参入が難しくなってきた外国経済史の研究(中国人と中国経済史で競争することのハンディーを想像せよ)に勇敢に挑んでいることに対する好感である。
 黒田氏は本書を書き上げたことによって、読者に楽しみを与えたと同時に一つの責務を負ったことになる。それは、彼の提示した魅力ある仮説の妥当性をさらに検討すること、序と結で示した議論に柔らかさと平明さを出すために彫琢を加えることである。これは畢生の大仕事となるかもしれない。

猪木 武徳(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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