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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1994年受賞

玉蟲 敏子(たまむし さとこ)

『酒井抱一筆 夏秋草図屏風 ―― 追憶の銀色』

(平凡社)

1955年、東京都豊島区生まれ。
東北大学大学院文学研究科博士課程前期修了。
静嘉堂文庫学芸員を経て、現在、静嘉堂文庫美術館主任学芸員。青山学院女子短期大学、フェリス女学院大学兼任講師も務める。
著書:『俵屋宗達』(アーティストジャパン15、同朋舎出版)

『酒井抱一筆 夏秋草図屏風 ―― 追憶の銀色』

 酒井抱一の「夏秋草図屏風」は、二曲一双、つまり画面は二面で、そこに描き出されているのは、一方に夏草と水流、他方には秋草のみで、残りの画面は、冷ややかな銀箔で隈なく覆われている。玉蟲敏子氏の受賞作は、このわずか二面の、それもきわめて限られたモチーフしか描かれていない抱一の作品を中心に据えて、一千年に近い日本人の感性の歴史を辿り、その特質を明晰に論じた優れた業績である。特にその卓抜な視点と明確な方法意識、美術のみならず文学、歴史の分野にまでわたる資料の博捜と豊富な用例、そして、抱一の「銀」に如く余計なものを切捨てて主要モティーフを明確に浮かび上がらせながら、秘めやかな潤いにも欠けていないその冷静な文体などは、高く評價されるべきであろう。
 現在は保存の必要上から別々に切離されてしまっているが、抱一のこの作品は、もともとは光琳の「風神雷神図屏風」の裏絵として描かれた。その光琳絵は、宗達の同主題の作品を受継いでいる。抱一は、表の光琳を充分に意識しながら、雷神の裏に夕立に打たれる夏草と水嵩の増した流れ、風神の裏に野分に乱れ飛ぶ秋草を配してつながりを保つと同時に、表の天上世界に対して地上の世界、神々に対して自然の草花、金に対して銀を対比させて、新しい世界を開いた。このことはむろん、これまでにもしばしば指摘されたことだが、著者はこのような遣り方を、俳諧における「付合」の手法になぞらえて、日本人の伝統継承を作品創造の重要な特質と位置づけている。それと同時に、さかのぼれば遠く西域からやって来た天上の神々が、抱一によって地上の草花に変貌させられたことを、法華経のなかの単なる比喩に過ぎない仏の「慈雨」が、俊成の和歌や「久能寺経」の見返し絵では「春の雨」に詠み変えられている事実などと比べて、移ろい行くものに惹かれる日本人の自然観や、草花モティーフの系譜を辿ることによってその自然表現がつねに人間の心情に染められていることなどを改めて確認したことも、本書の手柄と言ってよいであろう。
 しかし本書の圧巻は、何と言っても、銀に寄せる日本人の心性を明らかにし、その展開を跡づけた点にある。著者は、多くの歴史資料や工芸作品なども引いて、銀が死者への追善、追憶と深く結びついていることを明かにし、さらにそれは、江戸時代になると、公的な表の世界の金に対して、私的な裏の世界、例えば奥の寝所などにもっぱら用いられたこと、そのため、銀にはしばしば艶なる色合いがまとわりついていることなどを、多くの実例で示している。このような銀の世界の美意識は、王朝時代から抱一を経て、明治の漱石にいたるまで、脈々と続いているという指摘は、日本文化論としても重要なものである。壮大な視野のなかで緻密な分析を重ねながら、日本人の感性の底を流れる水脈のひとつを明かにした点で、本書は近年の美術史界における大きな収穫と言ってよいであろう。

高階 秀爾(国立西洋美術館館長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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