選評
芸術・文学 1994年受賞
『異都憧憬 日本人のパリ』
(柏書房)
1961年、東京都港区生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員を経て、現在、筑波大学文芸・言語学系専任講師。この間、パリ第4大学比較文学専攻課程に留学。
パリが近代日本の文学者や美術家のひとしくあこがれてきた都市であったことはいうまでもないが、いったいパリの何が彼らをあんなにも惹きつけたのであろう。今橋映子は19世紀後半のパリに成立した芸術家たちの「ボヘミアン生活」こそパリ神話の源であったと見定めて、その成立の経緯と実態を精細に説きあかすことから『異都憧憬 日本人のパリ』第1部の稿を起し、そのうえで、岩村透の『巴里の美術学生』と永井荷風の『ふらんす物語』をボヘミアン文学という観点から再検討にとりかかる。
内外の文献をあまねく渉猟し、テクストを入念に読み直して成ったこの第一部だけでも大仕事だというのに、著者はさらに第2部を設けて、パリにあこがれるという次元を超えた道を歩まねばならなかった3人の作家、高村光太郎、島崎藤村、金子光晴のパリ体験についての通説を洗い直しはじめる。よくもここまで調べたものだと驚かされるが、私などがとりわけ興を動かされたのは藤村の場合である。
大正2年5月、藤村は単身パリに渡り、大正5年4月まで3年のあいだ、パリに滞在した。よく知られていることだが、彼の渡仏行は通常の外遊ではなく、姪のこま子との危険な関係から逃避するためだった。そのいきさつを告白した長編『新生』には「贖罪」という言葉も見えるし、帰朝後の記者会見で「三年間昼寝に行ってきたのと同様だ」と語ったことなどもあって、パリの藤村は鬱々と籠り暮してばかりいたというのが通説とされてきた。
それに対して、今橋映子は従来軽くあしらわれてきた『仏蘭西だより』にあらてめて注目をうながし、彼がパリをしっかりと観察して、その都市構造の特徴をよく把握し、なかなかの文明批評家ぶりを披露している条条を逐一指摘して、そのパリ生活が消極一方のものではけっしてなかったと説く。また、藤村が複製画を通じてかねて愛着していたシャバンヌの壁画の実物の前で、「旅の身を忘れる」ほどの「至福の時間」をもったこと、発表されたばかりのエミール・ベルナールの『回想のセザンヌ』にいちはやく注目して、友人の有馬生馬に送り、日本におけるセザンヌブームの幕開けに一役買ったことなどを調べあげる。そして、「自分のような者でもどうかして生きたい」という言葉に象徴されるような、むっつりと押し黙って取りつきにくい藤村とはどこか違った、もう一人の藤村の像を垣間見せてくれるのである。
あれもこれもとテーマを欲張りすぎて、全体の印象が拡散気味なのと、文体がいかにも研究者ふうの固さからまぬがれていないところのあるのが気になるが(そういえば、本の題も一工夫ほしかった)、藤村論一篇だけを見ても、その力量は尋常ではない。
向井 敏(評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)