選評
思想・歴史 1993年受賞
『中世地中海世界とシチリア王国』
(東京大学出版会)
1956年、福岡県浮羽郡田主丸町生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。
エール大学Ph.D.取得。
ケンブリッジ大学客員研究員、一橋大学経済学部助教授などを経て、現在、東京大学文学部助教授。
著書:"The Administration of the Norman Kingdom of Sicily"(E.J.Brill)
ギボンは『ローマ帝国衰亡史』のなかで、ノルマン人の南イタリア征服を「その起源において非常にロマンチックで、その与えた影響はイタリアとビザンツにとって重大な出来事」と語った。実際にノルマン・シチリア王国は、ギリシャ、アラブ、ラテン文化交流の場であり、ヨーロッパ最大の文化中心地の一つであった。また、法制史の泰斗ハインリッヒ・ミッタイスが強調したことから、シチリアの官僚制は英仏独の行政システムに大きな影響を与えたと信じられてきた。これまでの歴史家がこの興味深い対象にあまり取り組まなかったのは不思議なくらいである。しかし、高山博氏の『中世地中海世界とシチリア王国』を読むと、この疑問がすぐに氷解する。
この地域を研究するには、最低7つの言語を必要とするだけでなく、各地の文書館所蔵史料と格闘することが要求される。欧米人でも容易な作業ではない。高山氏は、この困難な課題に挑戦していくつもの謎を明かにしただけでなく、地中海という生きた世界のダイナミズムに文書の海から迫った。西洋史家でありながら、アラブ・イスラム史に関するバランスのとれた記述はフェナン・ブローデルとはまた違った個性を日本人の気鋭の書に与えている。しかも、氏の仕事が国際舞台に挑戦するに十分な資格をもっていることは言うまでもない。果たして、この書物と前後して英文の作品が上梓された。"The Administration of the Norman Kingdom of Sicily"(1993年) がそうである。
シチリアの中央政府がノルマン人以外にギリシア人やアラブ人役人からも構成されていたこと、アラブの土地台帳が支配に使われていたこと、王国行政にとってアラブ人の洗練された統治技術と知識が不可欠だったことなどを、誇大なレトリックや単純な反西欧史観に陥らずに、実証と理論の積み重ねで解きあかしたのが高山氏の仕事の本領である。その証明のプロセスは推理小説のように面白い。ブローデルの『地中海』が空白として残した部分が日本の戦後西洋史学によって埋められたとは何という喜びか。こうした業績を評価しない者はいないだろう。加えて、氏が豊富な学識と旺盛な好奇心を生かして近い将来に、『地中海と瀬戸内海』のような比較史論や『地中海イスラム地域研究序説』といった野心的な作品に挑戦する可能性をも期待して、サントリー学芸賞が贈られる。
山内 昌之(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)