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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 1993年受賞

岩井 克人(いわい かつひと)

『貨幣論』

(筑摩書房)

1947年、東京都渋谷区生まれ。
マサチューセッツ工科大学Ph.D.取得。
イエール大学経済学部助教授、ペンシルヴァニア大学経済学部客員教授などを経て、現在、東京大学経済学部教授。
著書:『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房)、『不均衡動学の理論』(岩波書店)など。

『貨幣論』

 著者の岩井克人は、ビクセル・ケインズの流れを汲んだ経済動学の緻密な思弁と数学的論理化によって専門的な経済学者のあいだでは高く評価され、また一般読者の間でも、才気煥発な経済論集『ヴェニスの商人の資本論』によって広く人気をかちえた。
 本書では、著者は、普通の経済学者なら始めからとても尻込みしそうな、貨幣とは何かという、アリストテレス以来の難問題に取り組み、相変わらずの切れ味をみせてくれた。周知のように、貨幣論には、二つの流れがある。一つは、貨幣はそれ自体が価値を持つ商品を起源とするいう貨幣商品説であり、他は、共同体の申し合わせや、社会契約、国家の立法にその起源を求めることができると言う貨幣法制論である。
 著者はその双方を退け、貨幣進化論(the evolutionary theory)とでもいうべきものを展開する。大雑把にいえば、貨幣は、過去から人々に貨幣として受容され、かつ未来永劫にわたって貨幣として受容されることが人々によって期待されているがゆえに、貨幣としてある、といえようか。この基本論点は、既に『ヴェニスの商人の資本論』において述べられており、本書では、マルクスの内在的批判を通じて、それを深化させたといえよう。
 また著者は、本書を書き進めているうちに、貨幣と商品の間の関係を論じることは、言語学において言語と事物との間の関係を論じることと形式的な同一性を持っていることに気がつき、経済学の領域を越えてしまったことを意識するようになったと述懐している。この点については、評者は云々する資格はない。
 にも拘らず、また本書が遅れてきたマルクス批判とも取れるような体裁を取っているにも拘らず、評者が強く本書を受賞に推薦した理由は、著者の『進化論』的アプローチがこれから経済学にたいしてもち得る豊かな可能性にたいしてである。このアプローチは、技術の発展、経済の国際化などによって、貨幣、組織、国家などといった制度におよぶ変化を理解する上で、従来の新古典派理論では不可能であるような洞察を与え得る潜在性がある。事実そのような、岩井氏の思考の延長上にある仕事が、国際経済学界のフロンティアーで日本の若い新化論ゲームの理論家たちを中心にして、始まっている。本書は、一つの先駆けとして記憶されることになるかもしれない。
 こういう主観的な視点から言わせてもらうと、本書の現実世界との関わりは、旧著のハイパーインフレーション論や、恐慌論の再述に止まっており、いささか物足りなさを感じた。しかし、エレクトロニックス・マネーなどにたいする興味深い記述が、注などに見出され、『進化論』的アプローチの応用可能性は著者の従来の仕事には限られない事を強く示唆している。

青木 昌彦(スタンフォード大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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