選評
社会・風俗 1992年受賞
『東洋人の悲哀 ―― 周作人と日本』
(河出書房新社)
1957年、中国・北京市生まれ。
北京外国語大学アジア・アフリカ学部卒業。北京大学大学院東方言語文学科を経て、来日。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
現在、札幌大学教養部助教授。
「天皇訪中」が長い準備の後に無事終了し、日本と中国の国交はまた新しい段階に入った。だが、中国人の若い学究によるこのように美しく、そして深い歴史的洞察をともなった近代日中文学交流についての著述――それも流麗な日本語で書かれた周作人についての研究が出たということは、日中間の「相互理解」などというよりも、もっと親しい共生の自覚をうながす上で、「天皇訪中」にまさるとはいわなくとも、それに劣らぬ、そしてもっと静かで持続的な働きを今後もちつづけることになるだろう。
「後記」によると、著者劉氏は事故死した父君の蔵書のなかに浮世絵を表紙や挿絵に使った本があるのを見て、強く心を惹かれ、それが日本留学、とくに江戸文学の研究に志すきっかけの一つになったという。たしかに、劉氏は東大の比較文学比較文化の大学院に留学中に、上田秋成と『聊斎志異』の作者蒲松齢を比較するという面白い修士論文を書き、またしきりに與謝蕪村を論じていた。そしてその間に、同じく日本留学中に西洋文学を学ぶとともに江戸文学に傾倒した先達、周作人の作品を発見していったのである。
他方、その周作人がもっとも愛読した同時代日本作家の一人が永井荷風であり、このフランス派文人はまた周知のとおり、大田南畝らの狂詩狂文から浮世絵にいたる江戸藝文の熱烈な讃美者でもあった。だから劉氏の研究が、周作人の留学体験と、ウイリアム・ブレイクやギリシャ神話やハヴロック・エリスの性心理学にまでおよぶその西洋文化学習の過程をあざやかに追跡したあとに、荷風文学と周作人との間の深い親密な、抜き差しならぬといっていいほどの共鳴・共感の現象の分析に進んでいったのは、おのずからな当然の展開であった。両者の相似のあらゆる面におよぶ比較分析は、まことに周到で鋭く、陰影に富んで説得力がある。この比較によってこそ荷風が東アジア近代文学でもちえた意外なほどの普遍性も浮かび上ってくるのであって、本書は今後荷風文学研究にとっても不可欠の貴重な寄与となるだろう。
しかも劉氏の考察は、周作人が自国の文学伝統のなかでもっとも尊重していた李卓吾から袁中郎にいたる明末清初の作品が、実は江戸後期の日本の思想・文藝に強いインパクトを与え、ひいてはそれらが荷風自身の漢詩文教養の基盤ともなっていたことにまでおよぶ。周作人=荷風の比較研究は、ここにいたって過去にまでさかのぼる一つの精神史的共生の空間を示唆して終るのだが、そこに最後に浮かび上ってくるのは「狂」や「無用者」の系譜に立って、「人民」でも「大衆」でもない庶民の生活に愛執しながら、なお同時代に対して貴族的高踏を守ろうとした近代東洋の二文人の「悲哀」である。
戦後は「漢奸」と呼ばれ、実兄魯迅の背後遠くに抹消されかけていた周作人を、本書は声高に「復権」させようなどとするものではない。だが、近代の日中両国の運命のはこびのなかにあって、この文人の存在が兄に劣らぬ深い意味をもっていたことを、本書は静かに切々と教えてくれる。周作人が1967年に没したとき、同じ北京でちょうど10歳の少年だったこの温厚真摯な若い学究のなかに、その文人精神がなおたしかに脈々と伝わっていることを感じて、私たちは心から嬉しく思う――中国のためにも、また日本のためにも。
芳賀 徹(国際日本文化研究センター教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)