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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1990年受賞

石川 九楊(いしかわ きゅうよう)

『書の終焉 ―― 近代書史論』

(同朋舎出版)

1945年、福井県今立町生まれ。
京都大学法学部卒業。
化学会社に勤務の傍ら、書の研究団体を結成し、研究誌「思脈」を創刊。1979年、独立し「石川九楊研究室」を設立。書家、書道史家。
評論集:『文字の現在 書の現在』(芸術新聞社)、『書の風景』(筑摩書房)、『書の交響』(筑摩書房)
作品集:『歎異抄―その二十の現象喩』(京都書院)、『石川九楊作品集―しかし』(思文閣出版)など。

『書の終焉 ―― 近代書史論』

 ひとつの私的経験から入ることをお許し願いたい。かつて高杉晋作と明治維新に興味を覚え、高杉晋作遊記を書いたことがある。その時の気分として書物の表題は「面白きこともなき世を面白く」という晋作の辞世の句にしたいと思った。
 その題字は高杉という人物を理解できる書家にお願いしたいという贅沢を思い立ったのである。そしてフッと念頭に浮かんだのが、京都の石川九楊氏であった。氏はデカダンスとダンディズムを兼ね備えた晋作の人柄を簡単に説明すると、サラサラと行書体の文字を書いて下さった。それは私の描き想っていた書と寸分の齟齬もなかった。私は驚嘆したのである。その驚きが単なる主観でないことは、下関市の商店街が高杉晋作生誕記念のお祭りを企画したとき、石川氏のその文字を幟りに染め出して使用したことでもわかる。
 石川九楊氏は前衛書家であると同時に、書道史の研究家でもある。しかしその書道史も専門の狭い書道史ではない。広い文化史、芸術史としての書道史である。本書以前に『書の風景』『書の交響』の二著があり、本書を含めて三部作といえよう。
 著者が力説しているように、日本文化が近代化という西欧化が至上命題となったとき、書の世界だけは西欧化ということが本来不可能な分野であった。絵画では油絵という洋画の世界が、音楽でも西洋音楽が、近代芸術として主流となっていった。その意味では華道や茶道の置かれた位置に似ている。
 本来、西欧化がありえない芸術はどのような近代化の道を辿るのであろうか。明治以降の書の運命を考えることは、一つの芸術のジャンルの盛衰、寿命を考えることになる。
 かつて床の間の書を鑑賞し、お茶や生花と共に濃密な空間を楽しむことは、日本家庭の生活の形であり習慣であった。その習性も住宅様式の変容、丸文字世代の出現で終焉を迎えつつあるようにみえる。こうした死滅は、歴史を振り返ることで再生の道を模索しなければならない。
 本書は狭い書道史ではなく、西郷隆盛や副島種臣、夏目漱石や高村光太郎、会津八一といった明治の元勲や文士たちの書までを視野に収め、書体、構図、造形、諧調、動跡、様式といった美学上の概念を駆使して、明治以降、今日までの書の変遷を辿っている。
 おそらくこれは前人未踏の独創的な仕事であり、芸術史、文化史としての資格をもった仕事である。
 石川九楊氏の営みは、書道界ではさまざまな評価があろう。しかし今日必要なことは、孤立した書道界が広い芸術の他分野と共鳴し、文化の多様性の一環として、相互刺激のなかで発展してゆくために、書家を広い社交サロンのなかに招き入れることではあるまいか。
 石川九楊氏がサントリー学芸賞という多様な学術・芸術の交響楽団のメンバーとなられたことを、心から祝福したい。

粕谷 一希(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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