選評
社会・風俗 1990年受賞
『断髪 ―― 近代アジアの文化衝突』
(朝日新聞社)
1958年、神戸市生まれ。
中国・北京第二外国語学院日本語科卒業後、同学院で日本語科教師を勤める。1989年、東京大学大学院比較文学・比較文化修士課程を修了し、現在、東京大学大学院博士課程在学中。
アジアの民族は、その前近代において、辮髪(中国)・丁髷(日本)・椎結(朝鮮)といった固有の、今日の目からみれば少々奇異な髪型をもっていた。そして我々は、その髪を断ち切ることによって、つまり「断髪」することで、近代世界に参加することになる。当然、そこにはさまざまな文化的軋轢が生じたはずである。
劉香織さんは、「新世界への通過儀礼としての断髪」を主題にして、一冊の本を書かれた。書名は『断髪』、副題に「近代東アジアの文化衝突」とある。
髪型のもつ社会性、文化性、歴史性が話題になるのは、必ずしも、この本が最初というわけではない。私自身にしてもかつて中世日本の異端を論じて、そのザンバラ髪に言及したことがある。しかし、劉さんの著書が新鮮な印象と感銘を与えるのは、「断髪」という出来事を東アジア諸地域がいやおうなしに通過しなければならなかった「近代」の問題とからめて提示したからに他ならない。著者は、日本と中国の比較を軸にして、さらに朝鮮の視点をも加えて、この興味深い課題にいどんでいる。
この本では、それぞれの髪型の起源や系譜といったことがらには、さして重点がかかっていない。あるいはそこに不満を感じる読者がいるかもしれないが、事始風の考証は、著者の関心事ではない。劉さんが描きだしてくれたのは、「断髪」という事態に直面した人びとの心の動揺なのであり、彼らをとりまく、それぞれの社会の状況なのである。同時代の日記や文学から引用される事例はなまなましく、それでいて記述は端正で抑制がきいている。「そのとき、もし私だったら…」と思いあぐねて、頁を繰る手が止まること、再三であった。
しかしまた、本書は「断髪」という問題の半分しか扱っていないという不満も残る。劉さんが話題にしたのは、男性の「断髪」なのである。同じように、あるいはそれ以上に、女性にとって、「断髪」は深刻で屈折した体験ではなかったのか。日本の場合でいえば、女性は男性ほどあっさり髪を切らなかったし、女性の髷は近代に「日本髪」として一層の展開さえ示したのであった。中国や朝鮮で、女性の髪は、どのような経過を辿ったのであろうか。
「断髪」を巡って生じる男女の差には、おのおのの社会における男女のありかたの違いが、かなり忠実に反映していたのではないかと推測される。つまり、近代東アジアの「断髪」という現象は、男性と女性とが対比されることによって、さらなる問題に展開する可能性をはらんでいるのである。すでに提示されている問題は大きいが、残された課題もまた重大であるといわねばならないだろう。
劉さんの「断髪」論が、今後、一層陰影のあるものになることを期待したい。
守屋 毅(国立民族学博物館教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)