選評
芸術・文学 1990年受賞
『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』を中心として
(文藝春秋)
1945年、東京都板橋区生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。
東京大学工学部専任講師を経て、現在、東京大学工学部教授。この間、ロンドン大学コートゥールド美術史研究所に留学。
著作:『建築の世紀末』(晶文社)、『ジェントルマンの文化』(日本経済新聞社)、『建築の七つの力』(鹿島出版会)、『夢のすむ家』(平凡社)など。
ゲニウス・ロキすなわち地霊なるものが果してあるのだろうか。
鈴木博之氏が紹介するクリストファー・サッカーの説明によると「ある場所の『雰囲気』がそのまわりと異なっており、ある場所が神秘的な特性を持っており、そして何か神秘的なできごとや悲劇的なできごとが近くの岩や木や水の流れに感性的な影響をとどめており、そして特別な場所がそれ自体の『精神』をもつとき、そこには『ゲニウス・ロキ』がある」のだそうである。
そういわれてみると、私も思いあたることがある。私の両親は滋賀県の出で、私も彦根中学に籍をおいたことがあるが、そういう因縁でもう20年以上も前に当時の野崎知事に頼まれて県立自然公園を計画したときのことである。その名前をどうするかで、私に意見を求められたので「近江の森はどうか」というようなことをのべた。すると野崎知事は、しばらく考えてこんなことをいわれた。「近江は悲劇の国なのです。近江京はわずか5年で滅び、そのあと佐々木六角と浅井長政は信長に滅ぼされ、その信長の安土城は明智に焼かれ、明智の坂本の城は秀吉の手に落ち、秀吉の重臣の石田三成は関ケ原で敗れています。近江という名をきくたびにそういう悲劇がおもいだされる。」結局、この県立公園は「希望が丘」と名づけられた。
しかし、野崎知事がいわれたように、近江の国の一木一草には、たしかに今も悲劇の匂いがする。平忠度が源氏に敗れて都落ちしたときに詠んだという「ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらのわざくらかな」の歌がそのことを示している。
そういうゲニウス・ロキは、西洋では古くから論じられてきたのだそうである。鈴木博之氏は、それを東京にあてはめてみせた。たとえば氏の手にかかると、こういう視点から上野の山も生き生きとよみがえってくる。そこは天海僧正によって京都の比叡山延暦寺にたいしておかれた東叡山寛永寺の寺地で、上野の山の中腹にある清水堂は清水寺の、不忍池は琵琶湖の、中の島は竹生島の、そして弁天堂は弁財天のそれぞれの写しなのである。それらはともに都の鬼門にあたるが、同時にそこは都を放棄するときの退路でもある。そして歴史はそのとおりに進行する。明治政府は上野の山に敬意を表して公園とし、文化センターとしたが、考えてみると京都でも同じく鬼門の方向に京都大学があり、岡崎の文化センターがある。土地や場所には何かそういう精神性が胚胎するものか。考えさせられるものがある。
上田 篤(京都精華大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)