選評
芸術・文学 1990年受賞
『眼の神殿 ―― 「美術」受容史ノート』
(美術出版社)
1951年、東京都江東区生まれ。
二松学舎大学文学部中国文学科卒業の後、文筆活動に携わる。美術評論家。
著書:『美術科教育論』(共著、東信堂)、『日本洋画商史』(共著、美術出版社)など。
本書は、国全体をあげて近代化のために苦闘した明治期の日本において、「美術」――ならびにそれに伴う「美術館」や「美術展」――という概念および制度が、どのようにして形成され、社会のなかに定着して行ったかを克明に跡づけることによって、明治という時代に側面から新しい光をあてるとともに、日本の近代美術史をもう一度、歴史的コンテキストのなかで捉え直そうとした野心的な労作である。このような仕事は、当然なされるべきことでありながら、これまでほとんど手がつけられていなかったと言ってよい。著者は、きわめて明確な問題意識に基いて、さまざまな側面から執拗なまでにこの主題と取り組み、今日ではごく普通に用いられている「美術」という言葉の登場が明治時代の日本の社会的状況と密接に結びついていること、したがって、それ故に、「美術」の内容も、概念としては西欧からもたらされたものでありながら、他の多くの概念や制度と同じように日本では微妙な変容を受けていること、そしてさらに、おそらくはそのことが日本の近代美術の展開に直接間接にさまざまな影を投げかけていることを、見事に立証している。特に、そのため、明治14年、高橋由一が提案した「展画閣構想」の紹介と位置づけから説き起こしているのは、卓抜な発想と言うべきであろう。由一のこの計画は、これまでにも知られていなかったわけではないが、著者は単にその内容を分析するだけにとどまらず、そこから、一方では時間をさかのぼって江戸時代以来のその構想の系譜を辿り、他方では西欧の歴史にまで視野を拡げて、その意味を探っている。このあたりの議論の展開の仕方は、文字通り見晴しのきいた螺旋階段を次第に昇って行くのにも似ていて、読者は眼の前に次々と新しい展望が開かれて行く驚きを味わうことになる。論の立て方に、時にやや強引と思われるところもあるが、敬服すべき力業である。そして本書の後半においては、江戸時代の物産会、明治初期の博覧会からやがて美術展覧会というものが生まれて来る過程を丹念な資料の渉獵によって跡づけ、その思想的意味を問うている。明治という時代の意味を改めて考え直す上からも、また今日の美術の在り方を捉えるためにも、貴重な貢献を果す業績であろう。選考委員会の席上においては、文章にやや生硬な点があって必ずしも読み易くはないこと、美術以外の一般の歴史の捉え方、特にフェノロサや岡倉天心などの「国粋派」の理解において従来の一面的な見方から充分に脱却し得ていないこと等の点に対する批判も提出されたが、そのような不満にもかかわらず、しばしば入手困難な基本資料を徹底的に追い求めて、広い視野から「美術」の成立を明らかにした本書は、サントリー学芸賞にふさわしい力作として、選考委員会の一致を見た。今後いっそうの成果を期待し得るたくましい力量の著者に敬意を表したい。
高階 秀爾(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)