選評
政治・経済 1989年受賞
『ヒューマンウェアの経済学 ―― アメリカのなかの日本企業』
(岩波書店)
1943年、東京都生まれ。
慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。
慶應義塾大学経済学部助教授を経て、現在、慶應義塾大学経済学部教授。この間、マサチューセッツ工科大学、フランス経済経営高等学院の客員教授を歴任。
著書:『労働経済学』(岩波書店)、『フリーランチはもう食えない』(日本評論社)、『労働経済学のフロンティア』(総合労働研究所)など。
今年の政治・経済部門で唯一の受賞作となった島田晴雄氏の『ヒューマンウェアの経済学』は、著者独特の流暢な語り口もあって、一般の読者にも、きわめてわかりやすい読物である。しかし、この「わかりやすさ」には、他に二つの理由があると評者は考える。そのひとつは、この書物が著者のアメリカ全土を股にかけた日米企業の自動車工場の徹底的なフィールドワークを基礎としていて、著者の理論が、現場の管理者や作業労働者の経験に基づいた語りの中から、自然と浮かび上がってくるという方法がとられているからである。最近、ノーベル経済学賞受賞者であるハーバート・サイモンは、将来を担う経済学研究者は、最高の計量経済学的方法とともにフィールドワークの方法によっても鍛えられるべきだと語っているが、まさに島田氏の方法論は、現実感覚のともすれば欠けがちな経済学に、ひとつの行き方をしめしているといってよいであろう。
第二に、そうしたフィールドワークのなかから著者の抽出した「ヒューマンウェア」という概念が、現代技術の性格を全体的に理解する上で、きわめて本質的な側面をついているという点に、もう一つのわかりやすさの秘密が有るのではないか。日本では「ソフトノミックス」などという解ったようで、解らない造語が流行したり、「ソフト」が人間的要素と同義語に用いられたりしているが、元来、ソフトウェアとは、プログラミングとか、人工知能(AI)といった無形ではあるが、公式言語で表現されうる技術に関連した概念である(そしてこの点では日本は依然としてアメリカに遅れをとっているのである)。島田氏によれば、ヒューマンウェアとはハードでもなく、ソフトでもないが、機械や生産のしくみと人間とのかかわり合い方に関した、技術の性格を決定する重要な一側面である。この三者の間の相互関連を一層掘り下げていくことによって、企業論、経営論、技術論、労働経済学などが、現実の経済の動きにより一層肉迫しうると期待される。
ヒューマンウェアの概念化の一つの重要な含みは、日本の経営者が人間的要素を強調するのは、彼らが格別ヒューマニストであるからではなく、日本企業の依拠する生産技術そのものの性格によるということである。従って、日本企業の発展させてきた技術から、日本社会が育んできた均質性・集団主義・同一志向性などといった文化的特殊性を洗い流しても、普遍性を持った本質的なものが残り、異文化のなかにも移植されうるだろうという見通しがえられる。従来の「日本的経営論」をこえた、グローバルな通用価値を持った日本の経済学者の仕事の出現を喜び、本書を一般の読者にも広く推奨したい。
青木 昌彦(京都大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)