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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1989年受賞

養老 孟司(ようろう たけし)

『からだの見方』

(筑摩書房)

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。
東京大学医学部卒業。
東京大学医学部助教授などを経て、現在、東京大学医学部教授。解剖学第2講座担当。
著書:『ヒトの見方』(筑摩書房)、『脳の中の過程』(哲学書房)、『形を読む』(培風館)、『唯脳論』(青土社)など。

『からだの見方』

 医学者にはなぜか文筆を能くする人が多いが大抵はその都度さっと白衣を脱いで「文科」に遁走することを好むようである。せっかく別宅に来たのに本妻のことなど考えたくないという気持ちはよくわかる。
 しかし養老氏は「理科」の座を離れず、あくまでも本妻とつきあうおつもりらしい。メスをペンに持ち換えても、やはり同じ視点でモノを見詰めヒトを解剖しながら、耳はいかにして耳になったか、知能と理解はどこが違うのか、なぜ嗅覚は言語化されにくいのか、目玉模様はなぜ鳥に嫌われるのかなどと考え続け語り続ける。そんな理屈っぽい本なのかと怖じ気をふるわれるかもしれないが、これは理屈っぽいなどという生易しい代物ではない。普通の理屈っぽい文章というのは、僅かな理屈をいかにややこしく大仰に膨ませようかというレトリックの見本みたいなものだが、これはもう惜しみなく全編理屈のピュア・モルトであり、つなぎのない本蕎麦である。あろうことか、その理屈が私ごとき真正「文科」人にも面白くて堪らない。しばしば、吹き出してしまう。ところが養老氏はニコリともしないで、さっさと先に進まれるから、急ぎ、笑いを呑みこんで、次の理屈を追い掛ける。これは痛快な頭の体操である。ギャハギャハとやたら騒々しいだけの空虚な笑いが横行する世の中に、このニコリともしないユーモアは実に貴重だと言わねばならぬ。
 理解はアナロジーだと氏は主張される。つまり養老氏の考えていることが理解できるとすれば、それは氏の脳内で起こっているのと類似の過程が読者の脳の中でも起こっているはずだと信じていいらしい。思えばこれは実にスリリングなことであり、たかだかスプーンが曲がったりするぐらいの超能力よりもよっぽど有り難い。だから読書はやめられない。
 ところで、私は医者の友人から、献体組織の白菊会に勧誘されている。大江健三郎の『死者の奢り』以来、薬液のプールに浮きつ沈みつする死体のイメージにとらわれて、寒がりの私としてはどうも気が進まなかったが、この本を読んで心境が変わった。養老教授は自ら病院に赴いてエッサエッサと死体を引取り、解剖した後はちゃんとお骨にして優しく抱いて家まで届けて下さるし、ときには途中の居酒屋で晩酌の相伴までさせて下さるらしい。死体冥利に尽きることではないか。それにしても、教授の部屋に技官も秘書もいないというのには、ちょっと驚く。「行革とは、解剖学の専門家を税金で養成し、事務の仕事に使う、そういう贅沢のことをいう」そうである。10人の研究者がいて年間予算が僅か250万円というのにも驚く。「少しでも私が使えば、残りの9人の使う分がない。そのくらいの金勘定なら不肖私にだってできる。だから私は原稿を書き、授業や講演はするが、研究はあまりしない。なるべくしないようにしている」という、そのお陰でこういう面白い本が書かれたのだとしたら、お国のケチの功名だが、やはり学芸は気前よく援護したいものである。この賞の意味を改めて思う。

桐島 洋子(随筆家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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