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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1989年受賞

原田 信男(はらだ のぶお)

『江戸の料理史 ―― 料理本と料理文化』

(中央公論社)

1949年、栃木県宇都宮市生まれ。
明治大学大学院文学研究科博士課程修了。
国立民族学博物館共同研究員、明治大学非常勤講師などを経て、現在、札幌大学女子短期大学部文化学科助教授。

『江戸の料理史 ―― 料理本と料理文化』

 グルメ談義や健康食品論など、相変わらず巷では、拡散した形での「食論」が衰えを見せないが、もしこれを整理統合して、栄養学や食品学、食文化学まで含めて、人類の営みを「食」の観点から総合的にとらえる「食学」という体系を構想すれば、そこにどうしても欠かせない基礎的分野の一つがある。食社会学、食文化学の双方にまたがる基礎的な分野で「食文献史学」ともいうべき領域である。一般の史学同様、「食考古学」と相補的な関係になるべきものだが、これまでこの分野の本格的な研究は、――すくなくとも日本に関して――あまり眼にした事がなかった。
 『江戸の料理史』は、江戸時代を中心とする日本の料理文化を厳密な書誌学と文献史学との方法で研究した労作である。時代を江戸に絞った事は、この時代に、特に化政期をピークとして、料理本をはじめ料理の文献が多数あらわれ、明治以前の日本の料理文化が一つの頂点に達した、とする著者の見解もあるだろうが、研究の精度を上げるうえにも、また料理文化の内面的コンテキストの読み取りかたをしっかりさせる上にも、賢明な選択だったと思われる。えてしてこの分野の書物は、博識博覧の人の手になるものでも、拡散的趣味的な「談義」になりがちで、「学問」になりきらない傾向がまま、見られるからである。序章で、「料理文化」を、食生活や食文化一般の中で「遊び」の文化としたのも周到な配慮であり、しっかりとした方法と眼配りの上に基づいて展開される同書は、決して堅苦しいものでなく、学問的堅実さが、かえって面白さをひきたてている。江戸初期の幕府は、「百姓の食物は雑穀専一」と決めただけでなく老中から小禄者にいたるまで、武家には格式に応じて、それぞれ一食に何汁何菜と細かく規制していた事など、格式と統制の好きな江戸幕府の軍事官僚的体質がよくあらわれているが、こうした「公権力による料理品数の規制」といった例が、はたして海外にもあったのか、ちょっと知りたい所である。元禄期の西鶴の随筆中にひかれた、上方商家番頭のお得意先饗応の献立への指図の手紙など料理に対する知識と見識の深さとともに、このごろの上方の町人が、いかに食についての「贅沢」を楽しんでいたかがわかって興がつきない。一度、誰かに復元してほしいものである。同時代の芭蕉は最初藤堂家の「台所用人」だったが、それが単なる用人でなく、料理にたずさわっていた事を、彼の一句から推定する所など、その読みは鮮やかである。
 この一書は、これだけでもすぐれた研究書であるが、さらに広い食社会史、食文化史の研究に、一つの確かな足場を示した。「料理文化」にかぎらず、近代軍隊の糧秣、兵站、家庭料理の手引きから、食生活の改善、近代化への「お上の指導」まで、近代社会にあふれだす「食情報」の量と内容の変遷を同じ方法でたどれば、そこに今まで見えてこなかった「社会生活史」の全く新しい断面が浮き上がってくるであろうと期待される。

小松 左京(作家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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