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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1988年受賞

松木 寛(まつき ひろし)

『蔦屋重三郎』

(日本経済新聞社)

1947年、仙台市生まれ。
東北大学文学部大学院修士課程修了。
東北大学文学部助手を経て、現在、東京都美術館学芸員。
著書:『北斎・広重』(小学館)、『写楽』(共著、平凡社)など。

『蔦屋重三郎』

 文化は、いつの時代でも、何らかのかたちでその繁栄を背後から支えるパトロンを必要とする。パトロンは、経済的担い手であり、理解ある鑑賞者であるとともに、時には芸術家に注文をつけ、新しい企画を立案し、それを実現させようとするディレクターであり、プロデューサーでもある。18世紀の末、安永、天明から寛政期にかけての江戸文化の花の時代に、戯作文学の黄金時代をもたらし、歌麿、写楽などの浮世絵の巨匠を世に送り出した蔦屋重三郎は、まさしくそのようなパトロンの一人であった。松木寛氏の『蔦屋重三郎』は、きわめて鋭敏なアンテナと優れた経営感覚を持ったこの出版業者に照準を合わせて、その活動の跡を辿りながら、「蔦重」をめぐる作家、画家、版元仲間などのさまざまの人間模様を描き出し、この時期の文芸の展開を社会史的に捉えようとした清新な意欲作である。
 もちろん、「蔦重」その人の活動についてはこれまでにもいろいろ研究がなされているし、江戸期の出版界の状況や、あるいは狂歌師、戯作者、浮世絵師等に関してはなおのこと、それぞれに多くの論考がある。しかし著者は「傑出した版元と卓抜した芸術家が信頼の絆で結ばれ合い、お互いの創造エネルギーを存分に放出することができたとき、そこに見事な文化の華が生み出される」という視点から、単なる出版「業者」ではない「江戸芸術の演出者」としての蔦重の歴史的役割を明らかにしてみせた。その着眼の良さと鮮明な問題意識が、本書の第一の美点である。
 第二に、これまで、社会史、文学史、美術史などさまざまの分野で個別に進められて来た研究をひとつに結び合わせ、この時期の文化の綜合的見取図を描き上げたことが、本書の大きな功績であろう。実際、江戸文化の花の時代においては、絵と文は切っても切れない関係にあった。なかには、浮世絵師北尾政演が戯作者山東京伝に転身したような例さえ見られる。時には激しい作者争奪戦を演じながら蔦重が作り上げていった人脈の解明は、それ自体興味深いものであると同時に、当時の文化の在り方をも鮮明に浮き彫りにして見せてくれる。
 第三に、浮世絵、特に写楽研究における本書の貢献を特筆しなければならないであろう。写楽の款記作品の精細な様式分析を通じて作者認定に新しい仮説を提出している著者の仕事は、注目すべきものである。評者は、著者のこのようなアプローチに賛成であり、その結論もおおむね妥当であると思う。「写楽の謎」については、時に小説的空想もまじえて、多くの議論が交わされているが、今後たとえ異論を提起するにしても、著者のこの業績を無視することは許されないであろう。

高階 秀爾(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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