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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1988年受賞

佐々木 幹郎(ささき みきろう)

『中原中也』

(筑摩書房)

1947年、奈良県天理市生まれ。
同志社大学文学部中退。
詩人。
著書:評論『熱と理由』『溶ける破片』(以上 国文社)、『詩人の老いかた』(五柳書院)
詩集:『死者の鞭』(構造社)、『水中火災』(国文社)、『気狂いフルート』(思潮社)など。

『中原中也』

 20年ほど前になろうか、大岡昇平氏が笑いながら中原中也の故郷山口県湯田温泉あたりの出来事として話されていたことだが、何でも中也煎餅とか中也最中のような菓子がとうとう売り出される時代になった、と。私の記憶は細部があやふやだが、とにかくそんな話を聞いたことだけは確かである。
 中原は50年前に30で亡くなった。人気詩人になったのはむしろ没後、それも第二次大戦後のことである。私はそういう意味では中原人気勃興の最初期に、中学上級生としてその空気に触れ、むしろそういう人気を盛りあげることになった読者群の一人だった。私が書いた詩人論の最も早い時期の作物の一つは、中原中也論だった。
 そういう立場の人間として佐々木幹郎氏の『中原中也』を読み、中原という昭和戦前期の詩人についての考察が、いよいよ本格的に新しい視野のもとに書かれはじめたことに感銘を受けた。
 従来の中原論は、小林秀雄、富永太郎、大岡昇平その他の友人たちによってまず基盤が作られたものであった。そのため、中原像の魅力の大きな要素に、これら昭和文学の最も話題性に富んだ友人関係の輪から生じる一種伝説的性格があったことは否定できない。
 佐々木氏は、そういう一種の熱気からはすでに遠い立場で中原を論じている。しかし氏の中原を見る目には、こまやかな愛情と理解力がしみ渡っていて、この本全体を単なる中原中也評伝あるいは中原中也分析にとどまらず、それ自体で一個の豊かな文学作品であるものにまで仕立てている。詩人論は対象である詩や詩人そのものが、たえず観念的な枠づけやレッテルを逃れ出てゆく性質をもつものである以上、ともかくその捉えがたく揺れつづける対象とともに、行けるところまで同行するほかない。佐々木氏の中原への同行の旅は、最近の詩人論や詩論の中では出色の成功をおさめていると私には思われた。柔軟な感受力と、いわく言いがたい細部、また揺れ動く気分を、可能な限り明晰な言葉によって具象的に再現させ、その上で歴史的にそれを位置づけること、それを佐々木氏は一貫してやっている。
 佐々木氏は中原の詩風の特徴が、「口語りされ暗誦されるにふさわしい、無文字の闇の文化を〔書き文字の世界へ〕引きずり出してきた」ところにあるという観点から、一方では明治以後の口語自由詩の歴史に照らし、他方では小林秀雄に代表される「近代」の「西欧化」的感性の優位という文学的状況に照らして、中原の詩における「物語」と「うた」の未分化な性格に注目し、そこからその「子守歌的なるもの」の再評価を行っている。それは近代詩・現代詩の百年にわたる歴史を再検討する視点としても意味深いもので、この本が詩人としてのみならず、映像作家としても意欲的に活動している著者によって書かれたことは、さらに大きな期待を抱かせるに十分だと思う。

大岡 信(詩人、東京芸術大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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