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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1987年受賞

袴田 茂樹(はかまだ しげき)

『深層の社会主義 ―― ソ連・東欧・中国 こころの探訪』

(筑摩書房)

1944年、大阪府生まれ。
東京大学大学院国際関係論博士課程単位取得。
国立国会図書館調査員、芦屋大学教授などを経て、現在、青山学院大学国際政治経済学部教授。
著書:『現代中国とソ連』(共著、日本国際問題研究所)、『ソ連における集団主義と個人主義』(木鐸社)など。

『深層の社会主義 ―― ソ連・東欧・中国 こころの探訪』

 私は本書を読みかけてたいへん感心しそのままソ連旅行にもっていって旅行しながら後半を読んでますます感心した。
 前半の感心はソ連がどんどん変化をはじめているその変化に密着している鮮度の良さであり、後半の感心はせっかく現地にいってもお膳立てされた高官氏と通訳つきで会話し、民衆の生活は文字通り視て察するだけの“視察”に終わっている私に対し、袴田茂樹氏はどんどん人々の生活に入りこんで質問の上にもまた質問を重ねているその行動力と取材力の強靱さに対するものである。そこに天地の差を感じたのは当然というのもおろかであるが、ともかく眼前のモスクワの町の光景や行列する人々の表情などに重ねあわせて読む本書の面白さは格別であった。
 だが、これは個人的な経験であり、本書の価値はそれを越えて正確に評価されねばならない。私が本書に重ね合わせて思い出していたものの第二は同氏による「誤解されるソ連、18の視角」(「中央公論」昭和62年5月号)である。本書は一見単なる旅行探訪記であるが、同氏は決して旅行記作者ではなく、「中央公論」の論文でみせた政治的、経済的な観察力と見識は何気ない形ではあるが本書のなかにも随所に顔をみせている。
 袴田氏はモスクワ大学の卒業生で会話ができるから……など、皮相に考える向きは同氏の他の著作も読まれるとよい。
 本書に重ねあわせて私のイメージに浮かんだものの第三は昭和9年に出版された池本喜三夫著『フランス農村物語』(昭和46年東明社より再刊)である。これはフランス農村の研究書としても超一級品だが、同書の中で池本氏は「第一印象は研究対象に対する先入主観となって、無意識のうちに研究方法と目的に動機をあたえる。だから第一印象が対象の真相を把握できなかった場合はついに取りかえしのつかぬ失敗を招くことになる。」と書き、また別の場所では「自分はことさらなテーマをもたず、フランスがその素顔を自分にみせてくれるものだけをまずみようとした。」ともいっている。
 ソ連や東欧はこれまで秘密のベールにおおわれており、しかも東西双方の宣伝によって先入感は過剰なまでに膨れあがっている対象であるから、そこへの接近は正にこのように素直で平静なものでなければならないと思うのだが、その素直さと平静さを本書に感じることができたのは大きな喜びであった。これは同時に自分の研究力に自信がなければできないことでもあると思う。
 そんな次第で本書を候補にあげたが、一抹の危惧は素直さを突っこみ不足と思い、平静さを物足らないと感ずるような意見がでることだった。確かにそうした感想も出たが、それは感想者自身によって乗りこえられ、今私がここに書いているような補強材料は登場の必要もなく、本書は全員の賛同によって受賞作に選ばれることとなった。

日下 公人(ソフト化経済センター専務理事)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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