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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1986年受賞

藤森 照信(ふじもり てるのぶ)

『建築探偵の冒険・東京篇』

(筑摩書房)

1946年、長野県生まれ。
東京大学大学院工学系研究科建築学専門課程修了。
筑波大学非常勤講師、東京大学生産技術研究所講師を経て、現在、東京大学生産技術研究所助教授。
著書:『明治の東京計画』(岩波書店)、『日本の建築(明治・大正・昭和)第3巻 国家のデザイン』(三省堂)など。

『建築探偵の冒険・東京篇』

 藤森照信氏は全東大の中でも、いまもっとも面白い仕事をしている、もっとも面白い人物の一人なのではなかろうか。その人柄も行動もほとんど東大ばなれしている。爽快にして痛快、身も心も四輪駆動の、ジープのような学究である。
 昭和49年、東京建築探偵団を組織して以来もう12年、東京の街を「犬っころのように」歩き廻りつづけてきたという。そのためか、藤森氏の顔は陽に焼けてセピア色に輝く。その顔のなかで探偵の眼はさすがにキラキラとよく動き、真白い歯のこぼれる口もとにはいつも少量の泡ぶくを浮かべて、「ヤッパ、ヤッパ」とせっかちにまくし立てては笑いだす。この人と話していると、こちらの頭と心臓までがエアロビクスを始めかねない。
 藤森探偵はただカメラをさげて歩き廻るだけではない。文献、資料、絵図の山をもそれこそ犬のように掘り崩す。その作業によって4年前には『明治の東京計画』という近代日本都市史・社会史研究の快著を公刊した。こんどの本でも「東洋キネマ」の章にせよ「兜町と田園調布」の章にせよ、文献・絵図などによる裏づけはみな周到にほどこしてある。ただ藤森探偵の手(というより足)にかかると、書臭・白墨臭はたちまち消えて、かわりに街の匂い、さまざまの物音、その建物を建てた人・そこに住む人々の肉声までがいっぺんによみがえり、湧き返ってくる。ついでに、今和次郎デザインのフルコースの食器全セットを、「看板建築」を、また皇居という大不動産を発見したときの、探偵自身のわくわくした喜び、驚きもそこに混じってこだまする。
 「建築探偵」とはよく言った。探偵ならではの好奇心と知的スリル、熟練による勘のよさ、物に即した手さぐりの確かさ、生き証人へのアプローチの妙、それらがこぞってこの書物をいきいきと弾ませている。テレビ漫画風の、少年っぽい愉しさに溢れ、読みつつ破顔一笑すること、いくたびぞ。これは現代の大都市を対象として新しい学問を開きつつあることの、自信とよろこびの発露にほかならないのだろう。 
 東京駅は相撲好きの辰野金吾設計による、横綱の土俵入りの姿だ。「クイッとアゴをあげて皇居を見据える中央玄関」――などという新説も愉快である。この東京駅は全長335メートルもあって図体がデカすぎる。「一個人で好きになるには、なんともオーバースケールだ。……私も、はじめは目がパンクするかと思った。そんな時は、全体にかまわず細部に目をつけて下さい。誰も見逃すような片すみの細部をじっくり観賞して下さい。これがデカい建物を好きになるコツです。小錦だって、目尻だけ見てりゃあかわいいもんです。」
 藤森工学博士は都市研究・建築研究の方法論にも十分に自覚的なのである。これは建築探偵学のみならず、人文・社会の学問にとっても、その起死回生の秘訣となりうる言葉であろう。ただそのとき、「小錦だって……」の一行の薬味(エスプリ)をつけ加えうるか否かが、生と死の分れ目となる。付け加えたことによって、藤森探偵の本はいきいきと生きて、“新人類文学賞”に値する作品となった。
 四輪駆動の行動力に「繊細の精神」を兼ね備えた好漢藤森氏、東京計画の研究と路上観察の二段階をへて、これからはどこに向かうか。大いに自重して新展開を示されんことを。大阪・京都の建築探偵を期待するとの声もあることを、お伝えしておこう。

芳賀 徹(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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