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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1986年受賞

大貫 恵美子(おおぬき えみこ)

『日本人の病気観 ―― 象徴人類学的考察』

(岩波書店)

1934年、神戸市生まれ。
津田塾大学英文科卒業、米・ウィスコンシン大学人類学部博士課程修了。
ビロイト大学、ウィスコンシン大学人類学部助教授などを経て、現在、ウィスコンシン大学人類学部教授。プリンストン大学高等研究学院に滞在中。
著書:"Illness and Healing among the Sakhalin Ainu"(Cambridge Univ. Press)、"The Ainu of the Northwest Coast of Southern Sakhalin"(Holt, Rinehart & Winston)など。

『日本人の病気観 ―― 象徴人類学的考察』

 これは、アメリカに生活基盤を移して四半世紀になる文化人類学者が、ほどよい知的距離をおいて母国に向き直り、その衛生観念や病気治療法をしなやかなメス捌きで解剖しながら日本社会の背骨をなす象徴構造を明らかにしたもので、自分の内臓を望遠レンズで覗くように生々しく刺激的な日本文化論である。また、日本の特徴がアメリカとの対比において語られることが多く、アメリカ人の病気観も自然に垣間見ることができる。日米両文化のインサイダーでありアウトサイダーでもあることのメリットを、十分に生かし得た研究だと言えよう。
 著者はまず、日本人の〈文化的病原菌〉を、玄関で靴を脱ぐとか、外出にマスクをかけるとか、床は毎日掃除しても壁の汚れには比較的無頓着だとかいった、内と外や上と下の区別にこだわる日常習慣から、古事記や祝詞の世界にまで遡って考察し、「今日の清潔、不潔の概念は、清浄・汚濁という旧来の象徴観念にもとづいており、かつ、清浄・汚濁観念を生み出す同じ象徴構造が、空間、時間、人間の分類を支配している」という所論を展開する。
 非常に衛生に気を遣う日本人のことだから、その結果としてもっぱら健康を誇り合うのかというとそうでもなく、むしろ互いの不健康を訴え合うことに熱心で、皆自分がどこかしら具合が悪いと思いこんでいる。こういう日本人の特性を、ヒポコンドリアと呼ぶ外人学者もいるほどだ。持病や体質が天候同様に挨拶の話題として幅を利かせ、軽々しく自分の不調を嘆いたりしては男の威信を損なうアメリカと違って、病気は一種の勲章にさえなる。ろくすっぽ休暇もとらない働き蜂の国でありながら、入院療養期間が長いことでは日本が圧倒的に世界一なのだ。個人主義のアメリカでも入院患者は殺菌済みのお仕着せと番号つきの腕輪を当てがわれて個性を剥奪されるのに、制服をよく着る日本人が病院には私服私物を持ち込み、家族も侍らせ、個人としてのアイデンティティを留保しているという皮肉な逆転もある。
 このように病気が大手を振る日本でも、重病は恐れて正視をはばかり、特に癌の宣告はタブーとされている。死に直面することに耐えるほど人間は強くないというのがその理由だが、一方では切腹や心中や神風特攻を讃美するように、自殺の理想化も行われる。
 本書はこのようにさまざまな比較と例証を重ねながら、日本人の二元的宇宙観に基づく健康観念を捉え、さらに、漢方や宗教を始めとして日本の多元的医療体系を細やかに検証した労作である。
 学問的論理に厳密にこだわる姿勢のあらわれだとは思うが、用語や文体がいかにも堅苦しく、門外の私などにはかなり読みづらい。もっと平易な文章でのびのびと書かれたら、何倍も面白い題材なのにと、いささか残念に思った。

桐島 洋子(随筆家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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