選評
社会・風俗 1985年受賞
『東京の空間人類学』
(筑摩書房)
1947年、北九州市生まれ。
東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。
東京大学工学部助手を経て、現在、法政大学工学部助教授。
著書:『都市のルネサンス』(中央公論社)、『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会)など。
歴史も自然も蹴散らして、論理も美意識もなく、無節操な近代化に身を任せてしまった醜い都市として、悪口雑言を浴びることばかり多かった東京に、優しく理解溢れる白馬の騎士が颯爽と現われた。
かつてヴェネチアを歩き、水辺の迷路空間に犇く濃密な歴史の記憶に魅せられた著者は、同じ期待を籠めて東京の街に眼を凝らす。すると一見乱雑で無記号な表層を透して、懐かしい江戸の文脈がくっきり浮び上り、壮大な城下町の明確な意志と精緻な構造の論理をいきいきと語りはじめる。
江戸は武蔵野台地の突端に城を築き、ローマのように七つの丘がある山手に落着いた武家空間を構え、ヴェネチアのように水路を巡らした下町に、活発な町人空間を配した。
江戸の町作りは、自然の起伏や水や緑を巧みに利用し、土地の精霊との調和をことのほか重んじた。また、西欧の都市は広場を心臓にした求心構造だが、江戸は富士山をランドマークとして意識する遠心構造だった。
江戸の周縁には〈聖なる空間〉である社寺が防衛的役割もこめて配置され、それを結ぶ線が都市の輪郭を描いた。門前に賑わいを呼び〈遊興空間〉を発生させる社寺の存在は、都市の拡大を促し、江戸は社寺の輪を幾層にも重ねながら発展して来た。
このように実によく出来た魅力的な都市である江戸と、現代の東京とは、全く断絶しているように見えながら、実はまだほとんど同じ基本構造を保持して、しなやかに連続していると著者は言う。江戸の復元地図を辿る丹念なフィールド・ワークによって、東京の深層に息ずく江戸の都市空間をこまやかに体感しながら、著者はその主張を小気味よく証明していく。
もっともそれが外国人に東京を紹介しようという意気ごみに端を発するせいか、いささかナイーブに過ぎると思われるほど肯定的で、自説に好都合な典型例だけを過大評価する傾向が感じられる。
現代の東京が肥満と整形で見るかげもなく変容した大年増であることは、やはり認めざるを得ないのだ。いくら骨格に変りがないからといって、どんなに昔は器量よしだったからといって、あまりそればかり強調されてはSO WHAT?(それがどうした)と反問したくなる。
また空間人類学と名乗りながら、その空間に浮び上がるのは町や建物の設計図ばかりで、それらの有機的な関り合いや人間生活の手応えが乏しいこと、、一冊の本としては各章が不統一で重複も多いことなど、多少の不満は残るものの、非常にみずみずしく刺戟的な東京論として、全委員異存のない受賞作となった。
桐島 洋子(随筆家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)