選評
芸術・文学 1985年受賞
『ストラヴィンスキー ―― 二十世紀音楽の鏡像』
(音楽之友社)
1941年、福島県生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
東京芸術大学助教授を経て、現在、東京芸術大学教授。
著書:『現代音楽1――音とポエジー』(小沢書店)、『現代音楽2――時のレアリズム』(小沢書店)など。
この本の面白さは、何といってもイゴール・ストラヴィンスキーという20世紀の生んだとてつもない巨匠の全貌とその特質を、豊富な資料を駆使して見事に描き出してくれるところにある。筆者の船山隆氏は、音楽学者として東京芸術大学で教えるかたわら、現代音楽を中心とする様々なイヴェントの企画を手がける幅広い音楽批評家でもある。
日本には真の意味での音楽批評家が少ないとよくいわれるが、船山氏はその数少ない音楽批評家の一人に数えられるであろう。しかし船山氏は経験と勘によって物をいういわゆる古いタイプの音楽評論家ではない。この本でも精力的に可能な限りの資料を集めて、ストラヴィンスキーの人と作品を資料そのものに語らせようとして、その試みに成功している。その意味ではこの本は単なるストラヴィンスキー評伝なのではなくして、まさに第一級の音楽学の研究書でもあるといえるであろう。
今ひとつこの本の魅力は、一見資料そのものに語らせた客観的叙述であるかのように見えながらも、その裏に周到な計画のもとに組み立てられた船山氏自身の美学ないしは現代音楽についての哲学がかくされているところにある。それは平易な文章で難解なストラヴィンスキーの思想や、その創作過程を解明していくなかで、ストラヴィンスキーをひとつの反射鏡として20世紀の芸術音楽の歴史と宿命、さらには20世紀の西欧文化全般を照射しようとする著者の姿勢のなかに反映されている。
今われわれは20世紀末に立っている。19世紀末、そして二つの世界大戦とロシア革命を経験しながら生き抜いてきた放浪の音楽家、ストラヴィンスキーは同世代の人々にとっては勿論のこと、21世紀を生きようとする人々にとっても極めて重く暗示的な存在ではないだろうか。無限に多様な現代の状況のなかにあってストラヴィンスキーの創造的意味を解明しようとする本書は、明日の音楽文化を担う人々にとっても何らかの示唆を与えうるものと確信する。と同時に本書を通してわれわれに西洋の音楽文化伝統の重みと、その内的苦悩の深さを思い知らせようとする著者の音楽学者としての論証の緻密さと、批評家としての説得力は高く評価されるであろう。
谷村 晃(大阪大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)