選評
思想・歴史 1984年受賞
『我、ものに遭う ―― 世に住むことの解釈学』
(新曜社)
1943年、東京都生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(哲学専攻)。
東京大学文学部助手、山形大学教養部助教授を経て、現在、大阪大学人間科学部助教授。
私たちがいま生きつつあるこの激動の時期において、これまでの文明を支えつつ堅固な外観を誇っていた統一的価値体制を含めて、あらゆる種類の有形・無形の文化的所産が徹底的に批判され、根底的な再検討を迫られていることはあらためて言うまでもないが、思想の分野でも、従来ほとんど自明のものとして無条件に信奉されてきた近代的な思考秩序の妥当性を根本から問い直し、世界把握の新しい可能性を見いだそうとする試みが、最近になってわが国でも俄かに活発化してきた。
本書の基礎にある問題意識も基本的にはほぼ同じところにあるものと考えられる。というのは著者はここでこれまで哲学者たちが不可疑能の方法論的前提としてほとんど問題にしようともしなかった、精神と物質、主観と客観、事実と意味、論理と存在、認識論と存在論、現象学と分析哲学などというダイコトミーを否定して、新しい統合的な視座(「第三の道」)を構想しているからである。しかも著者はこの構想にもとづく思索を私たちにとってきわめて具体的な人間存在の周辺領域に集中して、「自己」と「事物」と「言葉」についてあらためて根本的に問い直そうとする。そしてこういうアプローチを行うにあたって著者は伝統的な精神の哲学やメルロ=ポンティを中心とする現象学哲学や新しい英米系の言語理論だけではなく、文化人類学を含むきわめて広範な思想的装備とそれを駆使するに充分なだけの堅固で精緻な論理とを準備した。そこに著者の高い能力と強く深い研鑽の跡を見出すことは容易である。
以上の点から見て、本書は従来のわが国のアカデミズムには見ることのできなかったオリジナリティとエネルギーを湛えた哲学的な力作であると評価される。
ただいささか苦言を呈するならば、本書の持つ最大の難点として選考委員が一致して指摘したことであるが、「はしがき」の冒頭に記された著者の決意表明にもかかわらず、本書はけっして標準的な知識階級に受け入れられるほど読み易くはない。「哲学書というものは本質的に難解である」という大時代的な文句は現代ではもはや通用しないし、著者の能力をもってすれば、同じ主題をもっと平易に、しかも高い水準を保ちながら書くことは充分に可能であろう。なお春秋に富む著者にこの面での今後の修練とそれにもとづく活躍を期待したい。
中埜 肇(筑波大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)