選評
芸術・文学 1983年受賞
『せりふの構造』
(筑摩書房)
1943年、東京都生まれ。
東京大学大学院美学芸術学博士課程修了。
フランス政府留学生として渡仏。埼玉大学教養学部助教授を経て、現在、東京大学文学部助教授(美学芸術学専攻)。
山崎正和氏に言わせると、現代日本の批評全般のなかで、もっとも振わないものの一つは、演劇のジャンルのそれだ、という。
劇作家でもあると同時にすぐれた演劇理論家でもある氏のこの言葉には、いろいろ複雑な含みや、裏すらありそうだが、何となくうなずける気がする。というのは、伝統演劇の詳密な研究やら、新聞の批評やら、一応の賑やかさには、事欠かぬものの、刺戟的な演劇理論、緻密なドラマ分析には、めったにお目にかかれないからだ。
佐々木健一氏の登場は、その意味で、注目に値する。『せりふの構造』というタイトルは、一見地味で、平凡と受けとられかねないが、「せりふ」という具体的な手掛かりを通して、ドラマの生命力のありかを確かめようとするその手続きは、重厚緻密であり、したたかな一貫性をそなえている。「モノローグ」の分析から始めて、「傍白」「長台詞」とたたみかけてゆく筆法は、少々まともすぎ、アカデミックすぎるとも思ったが、たちまちにひきこまれた。何しろ、ひとり合点な身勝手さがなく、実例もたっぷり引かれていて、一々具体的に納得がゆく。その理づめの説得力は、水際立っている。
しかも、さらに「祝典の言葉」に注目して、「祈り」、「うた」、「事件報告」などといった、意表に出た切り口を見せてくれる。まともな厚みがあって、同時に新鮮溌剌、なかなか隅におけないのである。引用される種類も、ギリシヤ悲劇から、ラシーヌ、シェークスピア、さらには、ベケット、ピンターなど現代戯曲にまで及ぶという幅の広さであり、スコープが大きい。
一貫した筋道が骨太く通っていて、しかも押しつけがましい裁断癖がないのだ。アカデミックな着実さともいえるが、底に柔軟な感受性の閃きがある所がいい。これはやはり、わが国の演劇批評における新しい才能の登場と言い切っていいだろう。派手な身振りはなく、あくまで手固く緻密であるが、しかもどこか新鮮さが匂っている。これほど一貫した劇的言語の論究は、わが国では例がない。それだけに、あえて望蜀の言をつけ加えるなら、今後は、日本の演劇にもぜひ論及してもらいたい。佐々木氏は、手固くヨーロッパ演劇に筆を限っているが、たとえば、氏が結末近くで取り上げている「沈黙」の問題など、まさしく日本の伝統演劇、さらには「腹芸」などの出番というべきではないか。この新鮮な批評的才能の、さらに幅広い展開と開花を切に期待する。
佐伯 彰一(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)