選評
芸術・文学 1983年受賞
『江戸絵画史論』
(瑠璃書房)
1941年、東京都生まれ。
東京大学大学院修士課程修了(美術史学専攻)。
名古屋大学文学部助教授を経て、現在、東京国立博物館情報調査研究室長。
著書:『江戸の美人画』(学習研究社)など。
江戸時代の絵画史は、伝統継承の豊かさと創造活動の多様性とにおいて、世界的に見ても注目すべき美術領域である。だがそれにしては、その内容の豊富さを失わずに全体の見通しを与えてくれる通史は、これまでほとんど試みられることがなかった。明治時代に書かれた藤岡作太郎の『近世絵画史』が今日においてもなお生命を保っている唯一の例外であったと言ってよい。小林氏の『江戸絵画史論』は、さまざまの機会に書かれた論考を集めて必要な補訂を施したものであるが、著者の明確な問題意識と広い眼配りによって、250年にわたるこの時代の豊麗な絵画活動とその特質を見事に浮彫りにした画期的な業績である。
本書の功績の第一は、その粉本主義と権威主義の故に、従来、もっぱら否定的評価しか与えられていなかった狩野派について、その社会的対応、流派の組織、教育活動、芸術理念等を綿密に跡づけて、その「功罪」を明らかにした点にある。事実、文人画や浮世絵のような反アカデミズム的絵画も含めて、江戸時代全体の絵画に対して狩野派の果した役割は、改めて見直されるべきであろう。第二に、琳派における「写し」の精神や春信における「見立」の意味を追求することによって、江戸時代絵画の重要な根をなしていた過去の遺産の継承や、文学をも含めた文化的伝統とのかかわり合いを明らかにしている点も重要である。それは、日本美術全体の特質の問題ともつながるからである。また、寛永期の風俗画から浮世絵の開花とその全盛時代を経て、幕末の頽廃派にいたるまで、江戸風俗画の系譜を明快に説き明かしている点も、注目されるべきであろう。
さらに、狩野派から出た二人の異端の画家、久隅守景と英一蝶についての心のこもった論述や、文人画を例として指摘された地方と中央との活発な文化交流や、いわゆる「宗達工房」の解明なども、新鮮で、また刺戟的でもある。
発表形式が違うためか、叙述に若干に濃淡が見られるが、丹念な実地の作品調査と従来の研究成果への十分な眼配りに基づく本書は、江戸絵画史に新しい展望を開く優れた労作と言えるであろう。
高階 秀爾(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)