選評
芸術・文学 1983年受賞
『詩人の妻 ―― 高村智恵子ノート』
(未来社)
1942年、島根県生まれ。
早稲田大学政経学部卒業。
読売新聞社に入社。勤務の傍ら詩作を続け、詩集『カナンまで』で第24回H氏賞受賞。現在、読売新聞社解説部記者。
著書:『歌と禁欲』(国文社)、『立原道造』(花神社)、『詩のある風景』(未来社)など。
郷原宏氏の『詩人の妻』は、すでにあまりにもよく知られている『智恵子抄』のヒロインの生涯を追跡することを通じて、「詩」と「日常」との行きちがいの中で「悲劇のヒロイン」とならざるを得なかった、「高村」智恵子としての「長沼」智恵子の運命を浮き彫りにしようとした長篇評論です。
《智恵子は詩人ではなかった。画家でもなかった。彼女は詩人の妻であり、詩人の詩と彫刻のモデルであった。だが、「家」なき詩人の「妻」とは何か。まして「妻」であると同時にその作品の「ヒロイン」でもあるとはどういうことか。彼女はなぜ狂わなければならなかったのか。
この「家」と「人」とのあいだには、したがって同じことだが「妻」と「ヒロイン」のあいだには、おそらく阿多多羅の空よりも遥かな存在の深淵が横たわっていたにちがいない。そしてこの関係の深みにこそ、光太郎の詩の秘密が、いいかえれば智恵子の病いの真相が隠されていたにちがいない。さらに両者がともにある時代の精神の表現であるとするならば、それは日本の近代が避けられず招きよせた悲劇の形式でもあったはずである。》
郷原氏自身のこの言葉に、この本のモチーフもテーマも語られています。郷原氏は光太郎と千恵子とのあいだに普通人々が夢みるロマンチックな純愛伝説の裏にひそむ真相を、時には推理小説の作者のような解剖術で明らかにしようとしています(郷原氏には推理小説を論じた文章も少なくないことを今想い合わせました)。
偶像破壊的な側面が当然この追求には伴います。しかしそれ以上に、氏の眼は、智恵子という個性が近代化を急ぐ明治・大正の社会の巨大な歯車の回転の中で、いわば必然的にたどらざるを得なかった悲劇的な人格崩壊の道程を明らかにするところに向けられているので、偶像破壊がより大きな構図の中での智恵子像の再生という結果を生んでいます。
男女としての光太郎と智恵子の関係の基軸に、「観念」による「現実」の否定、「愛」による「性」の無視という、強引かつ観念的な生き方の無理があったこと――それが純愛伝説を生む土壌でもあった――を、郷原氏は歯切れのいい文章で次々に論証していきます。使われている材料は多くの先学の発掘した事実に基づく所が大ですが、それらの駆使の仕方に腕の冴えがあり、文章に魅力があるという点に、選考委員諸氏の支持が集まりました。
欲をいえば、高村光太郎自身の詩についての突込みがまだ足りないことなど、今後に期待する点がいくつもありますが、何よりも「高村智恵子」を主題として芸術家の生の「実」と「虚」に迫ろうとした着眼点の新鮮さとその追求のあざやかさに、郷原氏の本の価値がありました。受賞を機に一層の展開を見せてくれることを、同じく現代詩にかかわる者として、心から期待します。
大岡 信(詩人)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)