選評
社会・風俗 1982年受賞
『アメリカの食卓』
(文藝春秋)
1933年、東京都生まれ。
早稲田大学、クィーンズ・カレッジ(アメリカ)でフランス文学を学ぶ。通算7年間に及ぶ渡米中、約2年間、日本銀行ニューヨーク支店に勤める。
驚くべき本である。これまでほとんど誰も注目しなかったアメリカの食というものが、これほど具体的にかつ情熱をもって、語られたことは、かつてなかったと思う。決してアメリカ料理の解説書ではない。本書を何よりも魅力的にし、読む人の心をとらえてはなさないのは、この本の中には、食べ物の匂いが一杯にたちこめていることだ。
口ーストビーフやイタリア料理や中華料理やスパイスや材料などアメリカ各地の街角や家庭のさまざまな匂いが、まことに実感をもって私たちを包みこんでしまう、その不思議な力を本書はもっている。それは食べることを限りなく愛し、美味しそうな匂いを嗅ぎつければとことんその正体を突きとめて賞味しないではやまない、著者の猛烈ともいえる情熱と知的好奇心、探求心によっている。酒を食事の親しい友とすることも忘れない。
本書はだから、アメリカの匂いに満ちている。それはたんに、食事や料理の匂いだけではなく、アメリカの家庭や人間関係、アメリカの社会と生活そのものの匂いである。抜群の語学力と通算7年に及ぶアメリカの滞在生活、そして6人家族の主婦であり日本を代表する学者の妻である立場と体験が、アメリカの食生活を生き生きと描き出すのに成功している。それと同時に、アメリカ人の孤独で人恋しいメンタリティとか、ユダヤ人の食生活や聖ジェンナロ様の祭りの食に見られるアメリカ社会の多様性、そして夫の交友関係からうかがわれるアメリカ人の知的生活の実態などが、具体的に、そして緻密に、日常生活のレヴェルで語られている。
本書はだから、食を通して発見された、新しい、そして知的なアメリカ論、アメリカ人論そのものである。アメリカの食生活の多様性とアメリカ人なりの食を楽しむ心を説いて、私たちのアメリカの食に対する偏見を払拭すると同時に、多数のアメリカ人とのさまざまな付き合いから得られた知見が、素顔のアメリカ人の姿をみごとに伝えている。私たちにとって、今これから知ることが必要なアメリカ文化の心と形が、ここにはっきりと具体的に提示されている。
各エッセイの終わりに、それぞれに工夫を凝らした本間流アメリカ料理のレサピーが付されているのも楽しい。著者の料理と食にかける愛情と熱意が、湯気や匂いとともにあふれ出ている感がある。
食欲と知性のみごとな結晶がここにある。
木村 尚三郎(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)