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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1982年受賞

辻 佐保子(つじ さほこ)

『古典世界からキリスト教世界へ ―― 舗床モザイクをめぐる試論』

(岩波書店)

1930年生まれ。
東京大学大学院博士課程修了(美学・美術史専攻)。
フランス政府給費留学生、フランス政府招聘研究員として渡仏。現在、名古屋大学文学部哲学科教授(美学・美術史専攻)。
著書:『世界彫刻美術全集第6巻「ロマネスク」』(小学館)など。

『古典世界からキリスト教世界へ ―― 舗床モザイクをめぐる試論』

 293点の図版を含めて、総ページ数700ページに及ぶ本書は、「舗床モザイクをめぐる試論」という副題が示すように、初期キリスト教時代に東西両地中海世界の広大な地域に数多く造られたキリスト教教会堂床面のモザイク装飾の図像的意味と、それらのモザイクが教会堂全体の装飾において占める位置、およびその装飾プログラムの構成原理を、厖大な作品、文献資科を駆使して明らかにしようとした瞠目すべき業績である。もともと床面のモザイク装飾は、古典古代の世俗建築において発達したが、その形式やモティーフが直接に、またはユダヤ教教会堂を通してキリスト教建造物に取り入れられた時、キリスト教の思想体系にもとづく再編成と新しい意義づけがなされた。その際、人びとの足の下に踏まれる床面は、人びとが見上げる天井や壁面の場合とは違ったいわば不利な条件を背負わされており、したがってその装飾は、堂内の他の部分の装飾とともに全体の思想体系の表現に参加しながら、他の部分には見られない特異な課題をつきつけられていた筈である。このような鋭い問題意識の上に立って、著者は、古典古代(異教)、ユダヤ教、キリスト教建造物の現存する数多い舗床モザイクをあるいは実地に踏査し、あるいは厖大な発掘記録や調査報告を丹念に渉猟して、その編年と様式的関連を跡づけ、個々の図像のモティーフの変遷とその意味を明らかにしようと試みた。この点に本書の第一の功績がある。しかしさらに重要なことは、舗床モザイクの特異な性格を明らかにするため、著者が「上下の投影」(天井との対応関係)、「90度の投影」(側壁との対応関係)という独創的な仮説を導入して、床面のモザイク装飾を全体の思想的装飾プログラムのなかに位置づけようとしたことである。個々の遺品の考古学的調査やその図像解釈については、西欧諸国においても多くの研究者たちが精力的な活動を続けているが、それらの研究成果を充分に踏まえたうえで、特に床面の持つ特殊性に着目し、舗床モザイクの象徴的意味と役割を体系化しようとした試みはこれまでほとんど行われておらず、その成果である本書は、きわめて高い学問的業績と言わなければならないであろう。しかも、そのような高度に学術的な内容を、豊富な資料と、緻密な論理と、明晰な文体によって充分な説得力をもって論述し得ている点に、著者の優れた知性と豊かな感性がうかがわれ、日本の学問の最も優れた成果のひとつとして、本書は、審査員の一致した高い評価を得た。

高階 秀爾(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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