選評
思想・歴史 1981年受賞
『海の都の物語 ―― ヴェネツィア共和国の一千年』
(中央公論社)
1937年、東京都生まれ。
学習院大学文学部卒業。
1963年から68年にかけイタリア滞在。1970年再度渡伊、現在フィレンツェに在住。
著書:『ルネサンスの女たち』(中央公論社)、『チェザーレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(新潮社)など。
本書は勿論イタリアの歴史物語であり、都市国家ヴェネツィアの盛衰系譜である。だが秀逸な史書のすべてがそうであるように、著者の問題意識は現代世界の趨勢に集中し、現代日本の舵取り像を模索する。嘗て我が国びとは歴史を経綸の典範とし、なかんずく中国古代の史論を座右の書とした。また明治の変革期に我等の近き先人達は、ワシントン大統領その他の欧米先覚者に水先案内人を見出し、近代的な国家統合の秘訣を探った。いま塩野七生は史談史論の躍動的な話術を駆使し、いや更に沈潜と精進の磨きをかけて、遠く遥かな狡猾の政治史に照明を当てながら、現代人に最も必要な洞察の胚種を提供する。『海の都の物語』を契機として著者は新次元を開拓し、歴史談論家から人間智のカタリベに変身し成長した。既に毎日出版文化賞を受けて評価の定着した著者に、尚おいま改めて本賞を贈る我等選考委員の微意は、第一に塩野七生氏の飛躍的な成熟に寄せる讃嘆であり、第二に本書を卓抜な現代日本論としては、必ずしも未だ認知されていないかも知れぬ読書界への、僭越ながら熱い思いを籠めての推挙である。
塩野七生の見るところ、ヴェネツィアは時宜に適したリーダーを常に生み続け支持しながら、しかも国民感情として国是として、アンティ・ヒーローに徹した国であった。人類史の一時期を律した自給自足という、一部の打算的なタテマエ概念を捨て切らなければ、進歩を可能とするエネルギーのすべては生まれない。ヴェネツィアでは「はじめに言語ありき」ではなく「はじめに商売ありき」であった。「商売を効率良くやっていくには政治、外交、軍事のいずれの面でも、非常にきめの細かい技を駆使しなければならず、そのようなアルテ(技術)は、作品を残すアルテ(芸術)に比べて、才能としても、少しも劣るものでないことを知っていた」賢明なヴェネツィアびとは、「実利のともなわない覇権思想などには無縁な国家」であり、政経分離の原則を強く巧みに貫きながら、従ってその基本方針を「受け容れてくれる国とは、可能なかぎりそのやり方を続けるよう務め」つつ、「しかし、それを認めない国に対しては、経済を守るために政治を使うことに、少しも迷いを持たなかった」のである。
中国の典籍が早く指摘する如く、名将に赫々の武勲なし、である。一旦緩急の危機に直面しない為には、歴史の中に生きた人間から学ぶ叡知が必須である。『海の都の物語』は司馬遼太郎の『菜の花の沖』と共に、近未来を暗示する歴史物語の誕生を、即ち歴史を敬虔に亀鑑と見る時代を、その到来を鮮明に告げた記念碑となるであろう。
谷沢 永一(関西大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)