選評
政治・経済 1981年受賞
『北京烈烈』
(筑摩書房)
1936年、長野県生まれ。
東京外国語大学中国語科、東京大学大学院社会学研究科課程修了。
東京外国語大学助教授を経て、現在、東京外国語大学外国語学部教授。この間、オーストラリア国立大学現代中国センター客員教授、パリ政治学院客員教授などを歴任。
著書:『中ソ対立と現代』(中央公論社)、『新冷戦の時代』(TBSブリタニカ)など。
「或る人の政治思想を知るには、その人の女性観をきくに限る」と指摘したのはマルクスである。戦後日本の知識人にとって現代中国は、「なんと底深く浩洋たる海原」(本書「あとがき」中嶋氏自身の語)として、己の姿をうつす格好の鏡の役割を果たしてきたようである。
戦後、その専門、非専門をとわず、おびただしい数の人びとが中国を語りつづけたきた。そしてその大半は、中国を語ったつもりで、実は己自身を語ったに過ぎなかった。それは文化革命の激動期において頂点に達した観がある。中嶋嶺雄氏の『北京烈烈――激動する中国』は、1966年の彭真失脚事件のなかに、毛体制動謡を示す「一種の粛清」をかぎつけて以来、劉少奇の失脚、林彪のナゾの死、周恩来の死去、不死鳥のようなサ小平の登場、そして華国鋒政権の成立のなかに、「毛沢東批判と、中国の本格的な現代化=工業化への開始」を予見した論文にいたる、約15年におよぶ激動期を対象としている。
中島氏は、この文化大革命を一貫して「毛沢東政治の極限形態として党内闘争の大衆運動化」とみる基本的な視座をとりつづけた。そして、現代中国のカギを、中国をめぐる大国ゲームの巨視分析のなかではなく、中国内政の微視分析におき、中国内政の動態とのリンケージにおいて中ソ対立をはじめ大国間のパワー・ゲームを理解しようとする姿勢をくずさなかった。その方法論的姿勢は、わが国ジャーナリズムや論壇の“時流”に抗して、609編におよぶ膨大な巻末の著述目録に示される、たゆみない氏の実証的調査と研究の努力にうらづけられていた。
今日、何よりも悲しく思うことは、中嶋氏のように、過去の評論を「発表時のまま」の形で公表できる論考がどれだけあるかということよりも、あれほど「虎の威を借りて」居丈高に「文革の世界史的意義」や「人間変革の実験」を説きつづけてきた、わが国論壇の寵児たちから、「私に過ちはない。あるとすれば、ただ一つ、それは権力闘争において、あなた方に破れたことだ」と、啖呵を切った一人の江青夫人をも生まなかったということである。その意味で、中嶋氏の業績の真価は、やがて中国の政治状況が変化し、あらたな権力によって文革の再評価が始まることがあっても、いささかもその価値を減じることのない実証性と先見性に裏付けられた「反時代的考察の勝利」だという点にある。
永井 陽之助(東京工業大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)