選評
社会・風俗 1981年受賞
『アインシュタイン・ショック』
(河出書房新社)
1933年、埼玉県生まれ。
東京大学教養学部卒業(科学史専攻)。
読売新聞社に入社し、「科学読売」編集部などを経て、現在、中央公論社「自然」編集部次長。科学基礎論学会会員。
著書:『廃物を科学する』(早川書房)
ひとりの国際的大スター訪日が全国民的熱狂を巻き起こし、それが一つの事件として長く記憶されるということは、今日ではありえないことである。小平も来た。エリザベス女王も来た。学者・アーチストの分野では世界の有名人で来日していない人の名を挙げた方が早いだろう。
しかし多くの彼らは、来た、少しは騒がれた、そして帰っていった、ということだけのことなのである。少なくとも、大正末年、あの相対性理論のノーベル賞学者アインシュタインが、来日して残していった日本文化・社会へのインパクトには、遠く及ばない爪あとしか残していっていない。
今日、毎日のように成田空港ロビーに降り立つ世界の有名人も、アインシュタインにくらべれば、「時代が降るにつれて」小粒になった、ということなのだろうか。
それもある。さらに大正時代の日本は産業的にも文化的にも後進国であり、今日の日本が世界に冠たる経済大国、先進国であるという条件の違いもあるだろう。つまりこの半世紀の間、われわれは急成長したのだ。
しかし、今日のわれわれが大正日本の外国文化受容態度を嗤うならば、こんな驕慢はない。それどころか、この本を読んでみると、世間一般には暗黒時代と思われているこの時代の精神が、意外に健康であり、われわれにない明るさとエネルギーを持っており、その文化受容態度がわれわれよりもっと男性的であったことがわかる。
大正時代というのは、明治と昭和の谷間にあってつい忘れがちだが、この時代は、今日の日本が失った妙なバイタリティに富んでいた時代である。アインシュタイン来日時点での、日本の社会・風俗・学界の姿をコラージュ風にまとめあげた本書によって、私は大正時代の人々を尊敬もし、羨ましく思うようになった。
科学ジャーナリストである筆者は、もちろん大正時代を描き出すことに主眼を置いていたわけではない。海外のアインシュタイン伝記作者の誰もが軽視している、アインシュタインの日本訪問の意義と真実とを探り出そうとして、アインシュタイン自身の門外不出の日記までに辿りつき、これを資料として本書を成した。あくまでも日本におけるアインシュタイン、というのが筆者のテーマだが、そのことは同時に、あるべき文化受容、文化交流とは何かという、根源的な問いにつながるのである。
田中 健五(文藝春秋第2編集局長)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)