選評
芸術・文学 1981年受賞
『戯作研究』
(中央公論社)
1935年、福岡県生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。
愛知淑徳短期大学助教授を経て、現在、九州大学文学部助教授。
著書:『近世新畸人伝』(編著、毎日新聞社)など。
アラスカの奥地の釣小屋で知りあったシャトルの詩人は酒を飲みつついろいろとやさしい英語でむつかしいことを教えてくれたが、大学生の卒論のことを隠語で何というのだとたずねたら、言下に、ニッケルと答えた。
ニッケルとは五セント玉のことである。キラキラしているけれど所詮は安物だといいたいのであろう。なるほど、うまいことをいうものだと、感服させられた。それから以後の旅であちらこちらで五セント玉を見るたびにこのことを思いださせられた。
近年の出版界のインフレまたインフレのおかげで、あらゆる分野でニッケル論文やニッケル・ブックが氾濫し、うんざりさせられる。どれもこれもすみずみまでアンコがつまっていない。水増し、上げ底、思いつき、ハッタリのキラキラばかりである。そういうことはその分野、分野の専門家でなくても、身銭を切って本を買う人の嗅覚なら、何となく、しかし、マザマザと、くっきり、嗅ぎつけられるものであるし、嗅ぎわけられるものである。
しかし、この著者は、論文を書くしかないから論文でも書くかという態度で書いているのではない。江戸時代の戯作が多年にわたって好きで好きでしかたなく、“学”の魔に吸引されるままにペンで文字を彫っていらっしゃるのである。いわば玩物立志とでもいうべきものである。そこに地金のいぶし銀のような底光りがある。そうやって一時代を徹底的に追及しながら、一方どこかにすべて無駄事であると捨棄しておられるらしき気配もあって、それが成熟の魅力になっている。
ことに“現代”に過去を照応させた古典を拡大解釈して書こうとなどという昨今のいやらしい流行にまったくかぶれていらっしゃらない。そういう成心のなさがこの本に正にして直の背骨をあたえている。ひたすらツァイトガイスト(時代精神)の描出に邁進したその気迫が爽やかで、読んでいて、いかにも気持ちがいい。すみずみまでダシがよくしみた重厚と篤実、そして一脈の酒脱の涼風。こういう良貨もたまにはあるのだと知らされて、一撫での凄みのある風にふられたように感じ、首をすくめたくなる。
御加餐あられんことを。
開高 健(作家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)