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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1980年受賞

立川 昭二(たつかわ しょうじ)

『歴史紀行 死の風景』

(朝日新聞社)

1927年、東京都生まれ。
早稲田大学文学部卒業。
早稲田大学講師を経て、現在、北里大学教養部教授。
著書:『からくり』(法政大学出版局)、『日本人の病歴』(中央公論社)、『近世病草紙』(平凡社)

『歴史紀行 死の風景』

 本書は一口でいって、死の文明論である。著者は死を見つめつつ、エジプト、ギリシア、イタリア、ドイツ、オランダ、イギリス、フランス各地に旅し、死の心と形を古代から現代にいたる歴史のなかに訪ね、そして現代における死を思索する。本書はしたがって、ヨーロッパにおける死の想念と医学思想、医術の発達を中心的な視点とする、ユニークで優れたヨーロッパ文明論ともなっている。
 これまで『病気の社会史』、『日本人の病歴』、『近世病草紙』などの好著によって、ヨーロッパと日本の病気に孜々として取り組んできただけに、『死の風景』における著者の眼はつねに的確であり、具体的である。  私たちは本書を手にしながら、古代オリエントやギリシア、ローマ、そして中世以降の西ヨーロッパについて、たえず死に立ち向い、あるいは死をとりこみつつ生きた人々の、真剣ですさまじい生の跡を旅することができる。それと同時に、死が人々の眼と心から「隠蔽され排除され」ている現代の社会と、人間的、呪術的要素を表面的には失ってしまった現代医学の不自然なあり方に、大きな疑問を抱かせられる。
 エネルギー・資源の枯渇、食料の不足、開発途上国を中心とする人口の爆発的な増大という、世界的な規模での危機的な状況と低成長の現実を目のあたりにして、欧米諸国においては死に関する書物が最近数多く現われるようになった。この点、国民性によるのかも知れないが、死についての書物が少なく、かつあっても目立たないわが国において、歴史学・医学の双方にまたがって新しい世界を開拓した本書の意義は、きわめて大きい。
 しかも本書は社会的・科学的であると同時に、それ以上に豊かな感性に支えられた文学の書でもある。文学や音楽・芸術一般への深い造詣と引用とも相俟って、そのリリシズムにあふれた名文は、読者を魅了せずにおかない。紀行文のジャンルからいっても、本書はみごとなエッセイ集となっている。生と死、身体と心の関わりというきわめて今日的な問題を、歴史と現代の往復のうちに追求しつづける著者の、今後の活躍に対する期待はいよいよ大きいものがある。

木村 尚三郎(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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