選評
政治・経済 1979年受賞
『転換期の安保』への寄与を中心として
(毎日新聞社)
1933年、上海生まれ。
東京大学法学部卒業。
毎日新聞社に入社し、横浜支局、社会部、政治部に勤務。この間、1971年~1975年ワシントン支局に駐在。現在、毎日新聞社政治部副部長。
戦後の日本にとって、日米安保体制の是非こそ、国論を二分した対立軸であった。それは単に政党レベルの問題ではなく、さまざまな社会レベルを含めた争点であった。革新陣営は、知識人、ジャーナリズムを中心として一大キャンペーンを張りつづけてきた。1951年のサンフランシスコ講和会議、1960年の安保改定をめぐる紛争の騒乱に近いエスカレーションは、その対立の現われといってよい。とくに革新陣営の論理は、日本人の平和願望、平和憲法、あるいはバンドン会議にみられた平和五原則を背景として主張され、米ソ中の世界戦略の角遂の場としての日本の姿は意識的・無意識的に伏せられてきた。
ところが、60年安保以後、中ソ対立の顕在化と激化が明瞭となり、米中接近の流れのなかで、日中の国交回復から平和条約の締結へと、70年代の国際的大転換が実現してゆく。とくに73年、周恩来の自衛隊・安保容認論こそ、それまでの幻想を吹き飛ばした。
毎日新聞に連載された「転換期の安保」における斎藤明氏他二人の仕事は、この主題にピッタリ焦点をあわせ、日中交渉の具体的過程を克明に追うことで、外交と国際政治のナマナマしい現場の姿を、ドキュメンタリー・タッチで描き出した傑作である。その描写力は舞台の上の役者たちを観るように鮮やかである。けれども、この労作の意味は、問題意識がこれまでの新聞ジャーナリズムを超え、その方法が、近年、語られるニュージャーナリズムの手法を超えていることである。
革新陣営が再起し、新しい構想力をもつための原点はここにあり、日本人が国際政治に習熟してゆく出発点がここにある。
粕谷 一希(評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)