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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1979年受賞

長谷川 堯(はせがわ たかし)

『建築有情』を中心として

(中央公論社)

1937年、島根県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
現在、武蔵野美術大学助教授。
著書:『神殿か獄舎か』(相模書房)、『都市廻廊』(相模書房、毎日出版文化賞)、『建築の生と死』(新建築社)

『建築有情』を中心として

 日本人は、モノの美には敏感だが、空間の美には弱い、といわれる。マッチのラベルから自動車のスタイルまで、モノのデザインにはすぐれたものが多いが、さて、身の廻りを見渡してみると、住まいも、町の風景も、まことに雑然としている。
 それは建築についてもいえることである。古典建築はともかく、現代建築となると、たいていの人は、機能と経済以外に、ほとんど関心がない、といってよい。建築の集合である都市にいたってはなおさらのことである。
 これには、建築家の側にも責任がある。現代建築評論の多くは、建築家仲間という狭い領域のなかで、ただお互いにやりとりしあい、自己陶酔におちいっているにすぎない風がある。
 そういうなかで、美学出身の長谷川堯さんは、ここ十年来、近代・現代建築について、作る側の立場というより、見る側、使う側の立場から健筆をふるってこられた。『建築有情』をはじめ、一連の作品は、それら評論活動の結晶である。
 たしかに、建築は、それが建てられた瞬間から、もはや建築家の作品であるにとどまらず、一個の社会的存在なのである。日常それを使う人、見る人の愛情がそこにこめられないようでは、それはただの冷たい「コンクリートの造形」でしかない。日本人が空間に無頓着というのも、たとえば現代建築を前にして、メーカーとユーザーとのこのようなスレチガイが一つの原因になっているのではないか。
 長谷川さんは、ユーザーの視点から、空間の美について、さまざまに語りかける。現代建築家の多くが、ただ新奇なもののみを求め、あるいは世界の流行を追うのに汲々としているのに対して、「古くさい」明治・大正の建築に熱いまなざしを寄せる。スカイスクレーパーの超高層建築もさることながら、戦前と戦後の建築の入り混った「町」の風景に心をとどめる。
 長谷川さんのこの本を中心とする一連の評論を通じて、現代建築は、少しずつ、現代人の心の中にも、その座標を見出しつつあるように、私には思えるのである。

上田 篤(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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