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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1979年受賞

磯田 光一(いそだ こういち)

『永井荷風』

(講談社)

1931年、横浜市生まれ。
東京大学文学部英文科卒業。
1960年「群像」新人賞次席となり文壇に登場。以後、文芸評論家として活躍。
著書:『殉教の美学』(冬樹社)、『思想としての東京』(国文社、芸術選奨文部大臣賞)など。

『永井荷風』

 今回の選考で、当然いくつかの候補作が念頭に浮かびましたが、磯田光一氏の『永井荷風』に行きつくと、もう迷わず、これに一票を投ずる気持になりました。
 第一に、これは十分に調べのゆきとどいた、読ませる評伝で、対象をとりまく時代環境、文壇的な雰囲気などが、具体的に生き生きと描きこまれています。少々性急に材料を投入しすぎた感じがしないではありませんが、とにかく素材をたっぷりと使って、大きく周囲から塗り上げてゆくという用意、努力がおのずと全体を引き立てているのです。
 第二の美点は、批評家としての着眼、観点が存分に活用されていることです。永井荷風については、じつの所、秋庭太郎氏のモニュメンタルな三部作の大著をはじめ、好事家的なセンサクもすでに多量につみ重ねられていて、今さら新しい伝記を加える余地もなさそうな気がするほどですが、その点、磯田氏のこの本は、始めから文字通りの「評伝」、つまり批評的な伝記としての立場をはっきりと打ち出し、また終始一貫、その立場で押し切っています。これは、何よりも批評家の物した伝記で、批評家としての磯田氏の息吹が全体に通っているのです。
 その結果、この本がとくに強く感ぜられるのは、磯田氏の批評家的な成熟という事実でしょう。荷風という対象と、がっぷり四つに組んでわたり合うことで批評家・磯田の地力、全体像がおのずと浮び上がることになりました。もともと磯田氏は、知的分析力の鋭い人ですが、これまでは、そうした分析の刃をチカチカと、いささか忙しく閃めかせすぎる所がありました。そうした落着きのなさ、分析のために分析に溺れるという氏の弱みが、こんどの荷風論では、もう目につきません。批評家・磯田光一の成熟をたたえるのに良い潮時と感じて、一票を投じた次第です。

佐伯 彰一(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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