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サントリー地域文化賞

活動詳細

中国

島根県 隠岐の島町 2016年受賞

全隠岐牛突き連合会
人牛一体となった独特の闘牛、牛突きを保存・継承

代表:村上芳雄 氏

2016年10月更新

活動紹介動画(01:50)
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写真
隠岐の牛突き習俗
(2015年10月13日一夜嶽牛突き大会)

 日本海に浮かぶ隠岐諸島は、古くから上皇や天皇が配流された島として知られ、多くの伝統文化が今に伝えられている。そのひとつが今から800年ほど昔、隠岐に流された後鳥羽上皇をお慰めするために始められたという「牛突き」である。

 牛突きとは、牛同士が角を突き合わせて闘う闘牛のことだ。隠岐の牛突きは全国数箇所に残る闘牛とは異なり、最後まで手綱をつけたまま牛を闘わせる。手綱を手にした「綱取り」が「サーサーサー」「オリャオリャオリャ」と掛け声をかけながら、牛の動きに合わせて目まぐるしく動き回り、微妙な綱の引き加減で牛に闘い方の指示を送る。牛の実力だけでなく、綱取りの技量も勝敗を大きく左右するといわれている。1トン近い体重の雄牛が暴れまわるのだから、危険である。1時間を越える大勝負になることもあり、敏捷性と体力のある若い人にしか綱取りはできない。そのため、綱取り修行は小学生くらいから始まる。子どもの頃から牛に慣れ親しんできた青年たちが、まさに人牛一体となった闘いを繰り広げているのだ。

 かつては役牛としてどこの農家でも牛を飼っていたため、隠岐全島の集落ごとに闘牛場があったという。しかし1950年代後半には農業の機械化によって役牛が姿を消す。かわって闘牛のためだけに牛を飼う「牛主」たちが伝統を守ってきたのだが、現在では隠岐の島町の五箇、都万、西郷の3地区にしか牛突きが残っていない。牛主は生き物が相手なので、餌やりや牛舎の掃除、散歩、ブラッシングと、月に2回地区ごとに集まっての練習試合など、日々の世話が欠かせない。また、牛を大会に出す際のさまざまな習慣や伝統的な儀礼、応援してくれる人々の接待、仔牛の購入や飼育、運搬にかかる経済的な負担もあり、家族みんなの理解と協力がなければやっていけない。

 こうした中、隠岐の牛突きを地域の文化的な財産として認めてもらおうとする動きと、地域活性化に活用しようという動きが生まれる。1973年、3つの地区の保存会を束ねる形で「全隠岐牛突き連合会」が発足。『隠岐島の牛突き』(野津龍著・2006年)の発行や教育委員会による記録映像の撮影が行われる。また、伝統的な「八朔大会」と「一夜嶽大会」のほか、春場所、夏場所大会を開催。1987年に完成した日本初の全天候型闘牛場「隠岐モーモードーム」では観光闘牛も行っている。1997年には全隠岐牛突き連合会の呼びかけで、「全国闘牛サミット協議会」が結成され、第1回のサミットが隠岐で開催された。

 地元では「バカでなければ牛は飼われん」と言われるほど負担が大きい牛主だが、グループや地域で新たに牛を飼い、牛突きに参加している例や、子どもの頃から大の牛好きである綱取りたちが牛主になることも多い。隠岐の“牛突き”=“牛好き”の伝統が、千年続くものになることを期待したい。

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