活動詳細
広島県 呉市 2015年受賞
歴史と文化のガーデンアイランド 下蒲刈島
住民皆が参画する、歴史と文化の薫り高い島づくり
代表:渡辺理一郎 氏
2015年10月更新
瀬戸内海に浮かぶ下蒲刈島では、月に一度、島内の美術館でギャラリー・コンサートが開かれている。毎回、150人から300人近い観客が詰めかけ、小さな美術館のギャラリーがいっぱいになる。高校生以下は無料、大人でも1500円という破格の料金にも因るが、世界的なレベルのクラシックの音楽家が出演することも大きな魅力になっている。
コンサートを影で支えているのが島の住民たちである。会場の設営から始まり、開演前に長蛇の列をなして待つ観客に飲み物を配ったり、音楽家たちに島で採れた果物の差し入れをしたり、手料理でもてなしたり、みかん狩りや魚釣りに誘う。そうした温かいもてなしに感激して何度も島を訪れる音楽家もいる。
この島は古くから潮待ち風待ちの船が寄航する海上交通の要衝であった。江戸時代には朝鮮通信使が11回も訪れ、「安芸蒲刈御馳走一番」と讃えるほどの歓待ぶりが伝えられている。通信使を迎える際の注意を伝えるお触れからは禁止事項ばかりでなく、島民挙げてもてなそうとしていた当時の様子が伺われる。しかし明治以降、鉄道の発達に伴い海上交通が衰え、島は静かな時を刻んでいた。この島に転機が訪れたのは1976年から7期27年、竹内弘之氏が下蒲刈町(現・呉市)の町長を務めた時代のことである。
竹内氏は地域の歴史と文化を掘り起こすことで島に人が集まり、活気づくと考えた。島に居ながらにして本物の文化・芸術に触れられるようにと、現在コンサートが開催されている蘭島閣美術館や朝鮮通信使資料館などの文化施設を次々に建設。さらにふるさとの美しい景観は郷土愛を育む土壌になると考え、「全島庭園化構想」を打ち上げた。そして島全体を美しい庭園にする「ガーデンアイランド」づくりに大勢の島民が参画した。
1982年から現在まで続けられている「町内クリーン作業」では、年に1度、全住民が島中を清掃する。通信使の来島時に詠まれた「蒲刈八景」に習い、新たな名所づくりを目指した「新蒲刈八景八境」の整備には、2000本以上の松の移植、庭石の運搬に多くの島民が汗を流した。松に水遣りをする人、各施設のボランティアガイドとして活躍する人、2001年に始まったギャラリー・コンサートを支える人たちは皆、この時に芽生えた「我が島は我が守る」という意識を共有している。
2003年には「朝鮮通信使再現行列」がスタートする。宮廷音楽を演奏する韓国の高校生、民俗芸能を演じる在日本大韓民国民団広島県地方本部の人たち、一般公募による参加者などを加え250人近い行列が島内を華やかに練り歩く。そして、彼らを迎える裏方として200人余りの島民が働いている。
もてなしの伝統が息づき、歴史と文化の香り豊かな景観が広がるガーデンアイランド下蒲刈島。きらりと光るその個性は、島の人たちの努力によって磨き上げられてきたものなのだ。